東京ディズニーシーとタイタニックを繋ぐ「不沈のモリー・ブラウン」
「冒険とイマジネーションの海」東京ディズニーシー。ここは旅客定期航路「トランジットスチーマーライン」や第三軌条方式の電気鉄道「エレクトリックレールウェイ」に乗ることが出来る上、羽田空港の離着陸機も撮れる乗り物の宝庫です。
そんなディズニーシーを代表するものの一つがアメリカンウォーターフロントにあるU.S.スチーム・シップの客船「S.S. COLOMBIA(コロンビア)」(2万3920総トン)です。
ガイドブックや公式ページでは「S.S.コロンビア号」として紹介されており、中に入って料理を食べたりタートルトークを楽しんだ人も多いのではないでしょうか。外観と塗装がホワイト・スター・ラインの客船「RMS TITANIC(タイタニック)」(4万6328総トン)を思わせることから、周囲で写真を撮っていると「タイタニックみたい」と言っている人をけっこう見かけます。
実はディズニーシー、がっつり「タイタニック」と関わっているネタがあります。
それは「トランジットスチーマーライン」の船名。ここに「タイタニック」に1等船客として乗船し生き残った「不沈のモリー・ブラウン(Unsinkable Molly Brown)」ことマーガレット・ブラウンの名前が使われているのです。
マーガレット・ブラウンという名前だけではピンとこない人もいるかもしれませんが、ちゃんと映画「タイタニック」(ジェームズ・キャメロン監督)でも登場しています。1等船客のディナーに招かれたジャックに「ヘビの穴に落ちようとしてるのに、何を着ていくつもり?」と警告し、タキシードを貸した人と言えばわかるでしょうか。
タイタニックが北大西洋で氷山と衝突して沈んだのは1912年4月15日のこと。マーガレットは避難した6号ボートでリーダーシップを発揮し、自らオールを持って生存者の救出に当たろうとしました。
「RMS Carpathia(カルパチア)」に救助された後は1等船客による委員会を立ち上げ、2等、3等船客向けの生活必需品の確保や、非公式のカウンセリングも行ったといいます。
具体的には同船の乗組員や乗客が集めた余分な毛布や物資を、食堂や廊下で眠っていた女性たちに配布。多くの女性が夫、子供、衣服、お金、貴重品などを失い、新しい国で生活を始める必要があることを確認したマーガレットは1等船客を集め、恵まれない乗客を助けるために寄付を呼びかけました。その結果、「カルパチア」がニューヨークに到着する前に、1万ドルが集まりました。
ちなみにカルパチアのアーサー・ロストロン船長にタイタニックの乗客救助の功績を称える銀杯と金メダルを渡している写真が残されています。
その後は労働問題や女性の参政権運動に尽力し、第一次世界大戦期には負傷した連合国の兵士を助けフランスを支援するため「荒廃したフランスのためのアメリカ委員会」で働いていました。こうした貢献が評価され、フランス政府からレジオンドヌール勲章を授与されています。
アメリカンウォーターフロントは20世紀初頭のニューヨークという設定なので、マーガレットが八面六臂の大活躍をしていた時期に重なります。
フランシス・ドレークやジェームズ・クックらに交じって、19世紀末に本当に80日以内で世界一周旅行をしたネリー・ブライと、「不沈のモリー・ブラウン」が、「トランジットスチーマーライン」の船名に入っているあたり、ここの会社はエネルギーに満ち、冒険心に溢れた有名人を全面的に押し出し広告を打つという方針のようです。
「エレクトリックレールウェイ」アメリカンウォーターフロント駅に貼られている広告に書かれた「The MOLLY BROWN」の文字。タイタニックが沈んだ後、マーガレット・ブラウンが熱く生きた時代を感じさせる空間をぜひ見て下さい。
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