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道草の季節

「今日もまた町に住む子どもたちが一斉に太陽の行方を追い始める。大人たちは坂の上へのぼる彼らを必死に引き止めようとするけれどそんな風に何かを追いかけたいのは実は彼らの方であるということは彼ら自身が一番よく知っている。それを認識することは彼らを救いようのない哀しみに陥れる。だからたとえどれだけの休日があろうとも暴力的に予定を詰め込みそんなことを考えないようにそんなことを考える暇なんてないんだと友人や子どもたちそして自分自身に主張できるように、とにかく急いで毎日偉大な夜を迎えそしてそれを嘆く。
小さな美しい丘の上には一人の少女がいる。彼女は町を見下ろし海沿いを走る一台の青い車に手を振っている。道は狂ったようにつねに一方向だけに渋滞を起こし青い車はその方向とは逆に進みつづける。車のくせに急いで走る気の無さげな丸っこい車体はささやかな海の音とその上に伸びる透々とした空の色を鮮やかに映している。その光景をどこか遠くの方からじっと見つめているのは星を見失いつつある青年と宇宙の膨張速度あるいは星の回転速度つまり自分の鼓動速度に慣れることのできない少年で……

久しぶりに会うことになった友人との集合時間に早く着きすぎてしまった僕は近くにある古本屋に初めて入った。なんとなく目についた文庫本を手にとり紙をめくっているとある部分に線が引かれていた、とても濃い鉛筆で。線が引かれるにしてはその文章はあまりにも長かったのでしばらくのあいだ僕の頭は静かなる混乱の海に沈んでいた。

友人の話は相変わらずおもしろくなかった。とても期待通りに、相変わらずに。話の途中から僕はこんなくだらない話に相槌を打つぐらいなら外で星を数えている方がましだなと考えていた。だけどそれは現実世界の物事をうまく真剣に考えることのできない自分の惨めさを強く何度も認識してしまうことの証明でもあった。ふと、何万年前の人とほとんど変わりがない星を見てるのが嬉しいとビートたけしが言っていたのを思い出した。それは星が変わらないというよりいつの時代も空を見上げてしまう人間はほとんど変わりのないことを思っているという深い哀しみであろう。

友人と別れ、帰り道を無目的に歩く僕は人間の靴跡に光る石ころのことを考えていた。そして人生には帰り道なんて存在しないんだと真っ昼間から湖岸のベンチに座りひとり楽しげに喋っていた親友のことを思い出した。あれは夏の終わりと秋の始まりのあいだであった。
今日の夜風は新月の微笑みのように優しく冷たい。それはなんだか膨張や回転に取り残されたあらゆる人間たちの言葉にならぬ結晶のように感じられた。


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