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昨日映画を見ていてふと思ったこと

先ほど、noteを開いてみると「おめでとう!」という画面がでた。

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どうやら、noteで何かを書き始めてから3年になっていたらしい。3年ってあっという間。よく考えれば、娘が中学進学と同時並行で書いていたことになる。

さて、話は戻り。昨日は娘が友達と校外授業でグループ活動するので、下見に出かけた。午前中、体調があまりよくなかったので昼からどこかに出かけようと主人が提案してくれて、映画を観ることにした。

当初は、私が観たかったホラー映画の予定だったけれど、主人が「実はホラー映画あかんねん」というので、「ヲタクに恋は難しい」に変更した。

登場人物それぞれが何かのヲタク。今も連載は続いていて、非ヲタクの人物はいる。ヲタクという要素は加わっているけれど、ふとしたところで「人を愛する」ことの難しさを考えさせられる。

ここから先は「ヲタク」はどこかに飛んでもらって、普通の恋愛や結婚の話とする。

私と主人は共通の友人を介して出会い、あっという間に結婚までいった。その時は「ただそばにいたい」それだけだった。

結婚後、すぐに妊娠・出産で一気にこじれる問題が出て、ついには今の病気を発症するきっかけにもなった。

数年間、起き上がることも難しい時期はあったし、主人と大喧嘩はしたし、もう離婚寸前まで話をしたこともある。

でも、なぜ離れなかったのだろう?

帰りに頭の中で考えた。結論から言えば、「いろいろあったけれど、お互いの人生を等価交換したからじゃないかな?」と。

等価交換って「鋼の錬金術師」ではよく出てくる話。ここで私たち夫婦のヲタク度がバレるけれど、人を好きになることは愛することは、まだ自分の人生をかけてはいない。

でも、結婚というのは一生添い遂げるかそれとも途中で別れるか否かとなる。お互いの人生を背負うというと重いし、尽くすというのもまた違うと思う。

出会って結婚してからの人生を等価交換することで、それぞれ持ち得ないものをその分交換して、よりよい形にするように努力し続けるということだと思う。

自分の人生を等価交換するのだから、それ相応の覚悟はいる。「相手の人生を背負う」「私がいなきゃだめ」とは違う。自分の人生は自分の人生だけれども、相手が足りない部分を自然に分けあう。これが結婚の「等価交換」だと思う。

まだ私の結婚についての考え方は、正答かどうかはわからない。それは自分が天国に度立つ時に、パートナーが私を愛してくれていたかの涙でわかるかもって思う。

今、生きている時に結婚についての結論を出すのは、まだまだ早いよぉ。

ちなみに観に行った映画の原作本と等価交換に関する漫画を紹介しておく。


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