東京都の式根島という離島で活動したいと思っています。
突然ですが、式根島という離島を知っていますか?東京都の伊豆諸島にある島です。
式根島に関わりたいとの想いが強くなり、これまでの筋トレの話とはだいぶ違うのですが(笑)、備忘録的に書き留めておきます。地域に興味がある方と繋がりたいとも思っています。
でも自分のことを書くのは恥ずかしいので、そのうち消すかも…
式根島との関わりの振り返り
父が式根島の出身です。祖父が式根島に移住してきたと聞いています。父は6番目だか7番目だかの子で、親戚一同言葉を濁していたので正確な兄弟の数はよくわかりません。
長男と次男以外は島を出ていました。私は東京で生まれましたが、ひどい喘息持ちで極端に体が弱く、このまま東京では暮らせないと医者に言われ、祖父と祖母を頼って生後10ヶ月あたりで式根島にやってきたようです(もちろん記憶ない)。
そこから祖父、祖母、叔父×2、と小学校に上がる1年ほど前まで暮らしていました(おぼろげな記憶)。4〜5年くらいいたのかな?式根島のきれいな空気で過ごすうちに、私はかなり丈夫になり、東京に戻りました。とはいえ、小学校低学年のうちは入院を繰り返し、学校に通うのがやっと、という程度でしたが、式根に来てなかったら東京で死んでいたと思うので、式根は自分の命をつないでくれた島です。
その後祖父が亡くなり、祖母が隠居して、長男である叔父が家を継ぎ、叔父のお嫁さん(叔母)を中心として民宿をやっていました(今はやめている)。私も中学に上がる頃になると勉強や部活や青春、その後は仕事と家庭で忙しく、めっきり行く機会が減りましたが。
式根島に対してなにかできないか?
長らく遠い故郷だった式根島ですが、父の古くからの友だちで今も島に住んでいるSさんの話は、ちょいちょい父から聞いて身近に感じていました。式根の養殖鯛を送ってくれたり、こちらからはフルーツを送ったり。
Sさんが東京に来た際に久しぶりに会った時、式根の話をじっくり聞きました。
人口は半分、民宿も半分になってしまったこと。
高齢化率が50%をとっくに超えていること。
医療や介護が整っていない式根島で老いるということについて真剣に考えていること。
これは式根に限らず、地方共通で起こっている課題だと思いますが、その時、コミュニティナースのような考え方が式根には必要なのではないか、とSさんが言いました。
コミュニティナースについては、もともと知っていました。
よく知っている企業がコミュニティナースの取組をしていましたし、介護施設運営企業のサイト制作の仕事をしていたので、そのあたりの考え方には触れる機会が多かったからです。
確かにコミュニティナースは、人材も設備も整っていない式根島のような地方には必要な考え方だ。
恥ずかしながら、コミュニティナースの取組をどこか他人事のように感じていたのですが、初めて自分の中で腹落ちしました。
その後、Sさんにコミュニティナースのことを教えた診療所のドクターともお話させてもらいました。話しているうち、診療所のドクターには、小さい頃本当にお世話になった記憶が蘇ってきました。
コミュニティナースを知っている自分は、なにか式根に対してできるのではないか?
そして考えれば考えるほど、式根のいろいろな課題に対して、私自身がここまで培ってきた経験やスキル、ネットワークが生かせるのではないか?
小さい頃に命をつないでくれた島に恩返しできるのは今しかない、と感じた瞬間でした。
自分が今までやってきたこと
大学を卒業後、新聞記者を経て広告制作会社へ。
デジタルクリエイティブを生業とする制作会社で、当時主流になりつつあった、インターネットを使ったインタラクティブなコミュニケーションを前提として、本当に多種多様のデジタル系の広告やコンテンツを作ってきました。
職種はプランナー兼コピーライターです。
メインの仕事は、打ち合わせをして、提案書を書いて、プレゼンして、具体的なイメージを全員で共有できるようにすること。いろんな人が思い描いていることを明文化して、制作物の具体的なイメージを描き、構成を考え、細かいコピーをつくる。
ネットが盛り上がりつつあるときのど真ん中にいたので、Webコピーライティングの先駆者としていろいろな場に呼んでもらい、講義をしたりしたことも、自分の糧になったと思います。
もともと母親の影響で独立志向があったので、10年勤務した後に退職して独立しました。それからはや10年、さらにネットワークが広がり、ライティングを中心としていろいろな仕事をしています。
式根島に対して生かしたいと思っているスキルとか経験とか
マーケティング視点と広告制作の経験がある
私はデザイナーではありませんし、美的センスはないと自認していますが、とにかく毎日毎日毎日毎日広告クリエイティブに埋もれて過ごしてるので、訴求ポイントを押さえた構成を作ることができます。いわゆるマーケ視点ですね。
広告の基本的なスキルがあり、どこを訴求すべきか、それならどんなデザインが望ましいか、イメージすることができます。
たくさんの人とディスカッションして、その中でなんとなく決まったポイントを具体的にして、コンテンツを作ることができます。デザインは人に任せますw
Webなどデジタルの知見がある
インターネット広告の黎明期からこの業界にいて、経験値は最古参の部類に入るかと。
ただし、デジタルマーケティングの細かいところは専門外です。作る人なので。
耳あたりだけは良い「広告会社の地方創生」が持続可能かどうか選別できる
広告は基本的に、作っては捨て、作っては捨てを繰り返します。
特に一社員だったときは、いま自分が作っているものが数年後も残っているなんて考えたこともありませんでした。刹那的なキャンペーンや、その時代に合わせたブランディングの繰り返しで、持続可能というキーワードとは遠い仕事をしていました。
それなのに、広告会社はたくさん政府や自治体の仕事をしていて、「地方創生」という名のもとにいろんな公的機関の仕事をしてきました。
自戒を込めて言うと、地域に耳あたりの良い理想論の提案書をつくるだけ作って去っていくことが多い。上から目線の理想論はいいけど、それを実行して定着させるのは地域の人。言うだけ言って去ってしまってはできるわけがない。
でも、それを誘導しているのは、オリエン資料を作って毎度競合プレゼンさせている政府や自治体にもあると思うんですけどね。オリエン資料に沿って勝てるように提案書をつくるのは広告会社の得意中の得意作業。勝てる提案書というのは見栄えが良いのですが、その後のことをあんまり考えていません。
そして、言うだけ言って、あの人どっか行っちゃったね、ということが頻発していると思うのですが、恥ずかしながら中の人だったからこそ、それが地に足つけているのか、理想論なのか、判別することができると思います。
持続可能な実現性あるプランの手助けをしていきたいと思っています。
ネットワークがある
長いこと広告業界で「書く」「考える」ことで飯を食ってきました。
独立後は特に専門職的な色合いが濃くなってきて、広告以外の仕事もするようになり、幸いなことに多くのつながりができました。
すでに地方に関わっている人もたくさんいます。
実際に地方に移住して頑張っている人たちとのつながりもあります。
そうした人たちからアドバイスを受けたり、必要なスキルの協力をお願いしたり、ネットワークを活かせると思っています。
命をつないでくれた式根島のためになにかしたい
そして何よりも、私は島のために何かしたいと心底思っています。
その意味で、活動を続けていくためのお金の出どころなど、現実的な考えもあります。
それは、式根島に関わることを続けていきたいから。いつまでもボランティアでは続きません。
もしかしたら今まで散々揶揄してきた代理店的なプレゼン資料作成能力が生きる日が来るかも(笑)。
自分の思いが、どこかで形になるように、長い目で式根島に改めて向き合っていきたいと考えています。