
近代オスマン陸軍の階級
近代軍隊の歴史の翻訳に取り組む際にもっとも厄介なもののひとつ、それは階級です。
欧米では階級は封建軍から近代軍へと変化していく過程で、軍隊の単位(軍、師団、旅団、連隊、大隊、中隊、小隊)の指揮官の呼称からおおまかにできあがっていったものなので、各国で似たり寄ったりだと思います。将官の呼称がまちまちだったり、下士官がてんでバラバラだったりしますが、現代ではNATO階級符号を用いて対応関係が示されています。
日本などの東アジア諸国では欧米でできあがった階級を移植しつつ、漢字文化圏の伝統に合わせて大中小(または上中小)、将佐尉曹(中国は将校尉士、韓国は将領尉士)の文字の組み合わせにより整然とした序列を当てはめているのでこれもわかりやすいです。
では、欧米諸国でも漢字文化圏でもなかったオスマン帝国はどうであったか。
オスマン帝国陸軍の階級
現代トルコ陸軍とオスマン帝国陸軍の階級を対照表にしてみました。

カイマカーム(中佐)のようにアラビア語やペルシア語に由来する外来語である階級がヤルバイ(おそらくYardımとBayをかけあわせた造語)というようにトルコ語に置き換えられたりしていますが、おおむね現代トルコ陸軍と違いがないことがわかると思います。
オスマン帝国でも、東アジア諸国と同様に近代陸軍の形成にあたって欧米でできあがった階級を移植したので、実は諸外国と大きく異なるところはありません。第二次世界大戦後にトルコはNATOに加盟したので、NATO階級符号を遡って適用してしまえば欧米諸国の階級との対応関係は明確であり、かなり正確に訳語を当てることができます。
ですが、軍隊の歴史叙述を翻訳するに当たって仔細を見ると意外と単純にはいかないところが多いのです。
オスマン軍の階級を翻訳する
元帥
オスマン語ではミュシール(Müşir)です。この階級は基本的に軍司令官に相当するため、現代の階級ではOrgeneral(大将)の仕事をしている(そのため何人もいる)ところが気になります。ただ、辞書でもmarshalという訳語が当てられていますし、特にひねらずに「元帥」と訳すことにしました。
師団長は中将か少将か
師団(fırka)を率いる者という意味のフェリク(Ferik)という職名が階級名称に転じたもので、フランスのGénéral de divisionに相当します。旧日本軍では師団長相当は中将であり、伝統的に「中将」という訳語が当てられてきました。
が、現代のNATO階級符号ではGénéral de divisionはOF-7、少将に相当します。現代トルコ陸軍の階級でも師団の将軍であるTümgeneralはOF-7です。
現代との差が気になりますが、旧日本軍との対照のわかりやすさを取って定訳どおり「中将」と訳すことにします。
旅団長は准将でよいか
ミールリヴァー(Mirliva)は旅団(liva)の司令官(mir)、英訳すればBrigadierであり、その英語を経由した定訳は「准将」となります。この階級から将官であり、パシャを名乗ることができます。
この階級を有していた有名な将官には第一次世界大戦当時のムスタファ・ケマルがおり、ガリポリの戦いでアナファルタラル陣地の防衛を指揮して国民的英雄となった彼はミールリヴァーに昇進し、戦士の称号を与えられて、ガーズィー・ムスタファ・ケマル・パシャとなりました。私は何の疑いもなく当時の彼を「ケマル准将」と呼んできたのですが、先年、とある研究会で近代を専門としない先生から「ミールリヴァーは前近代では県総督のことであり、准将という言葉でイメージされるものよりもずっと偉い」という主旨の話を聞いて目から鱗でした。
旧日本軍の階級を参考に訳語を当てるとすれば、日本軍には准将の階級はなく、旅団長は少将であったし、少将と訳しても差し支えはない気がします。現代トルコ陸軍では旅団の将軍であるTuğgeneralはOF-6、准将相当ですが、すでにフェリクの訳語で現代との一対一対応方針は放棄しています。
そこで、今後は「少将」に訳を変更することにしました。
現存しない階級コルアースゥ
オスマン陸軍では、少佐と大尉の間にコルアースゥ(Kolağası)という現存しない階級がありました。コル(kol)は腕、アー(ağa)は隊長を意味し、もともとは大隊の左右両翼の指揮官に由来する職名で、元は右(sağ)と左(sol)の2段階にさらに細分化されていました。陸軍士官学校参謀課程の修了者は教育終了後すぐに、士官学校本科の修了者は選抜されることでこの階級に昇進することができ、また下士官兵からの叩き上げで到達することの可能な最上位の階級でもあります。
英訳は2種類あり、Adjutant Major(准少佐)とSenior Captain(上級大尉)です。私は以前、階級名はできるかぎり漢字2文字に収めるべきだという考え方で「准佐」という訳語を当てていましたが、その後、コルアースゥは佐官ではなく尉官に含まれていたことがわかったので、現在は「上級大尉」と訳すことにしています。
なお、左右があった時期は右コルアースゥが「一等上級大尉」、左コルアースゥが「二等上級大尉」になります。長いけど仕方がない。
伍長?上等兵?
オスマン陸軍も現代トルコ陸軍も階級表の下から2番目にオンバシュ(Onbaşı)がいます。10人(on)の頭(baş)という意味で、小隊長に由来する職名です。
現代トルコ陸軍では、オンバシュは下士官ではなく兵に分類され、NATO階級符号はOR-3、上等兵に相当します。
他方、オスマン陸軍ではオンバシュは下士官の最下級とみなされており、英訳もcorporal(伍長)とされています。旧日本陸軍では下士官の最下級は伍長ですので、オンバシュは現代トルコ陸軍の位置付けを無視して「伍長」と訳すことにします。
そしてこうなった

どうでしょう。だいぶすっきりしたと思うのですが。