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「鎧師軍団」と呼ばれた兵士たち
前回の記事で触れたとおり、オスマン帝国の君主直属の常備軍をカプクル軍団といい、これを構成するひとつひとつの兵科を軍団と言いました。その代表にして最も数が多い者たちが歩兵であるイェニチェリ軍団です。
今回取り上げる「ジェベジ」もオスマン帝国の常備軍を構成する軍団のひとつです。彼らは主にイェニチェリの兵士が使う弓、矢、刀剣、鎧、小銃、弾薬などの武器や軍需物資の製造、修理、保管、運搬、支給を担当した補助的な兵科であったとされます。
ジェベジ軍団は、常備軍の中でもイェニチェリや砲兵軍団と比べると知名度に劣り、あまり歴史の概説書では出て来ないのでご存知ない方も多いと思います。本棚にあった概説書をいくつか確認したところ、鈴木董先生の『オスマン帝国 イスラム世界の「柔らかい専制」』(講談社、1992年)が「鎧師軍団(ジェベジ・オジャウ)」を紹介していました(p. 203)。
でも、鎧師軍団という訳語、上で書いた説明とちょっとズレていますよね。なにより鈴木先生も「(ジェベジは)原義は鎧師を意味するが、実際には武具・武器の作成と修理を主任務とし、工兵も含んでいた。」と直後に書き、2回目の登場箇所では「ジェベジ軍団」とカタカナ表記に改めています。
では彼らはどうして鎧師と言ったのか、そして我々はこれをどう日本語訳するべきか、というのが今回のお題です。
「鎧師軍団」の名
ジェベジは、ジェベ(cebe)という単語に「〜をする人」という意味の接尾辞(-ci)がついてできあがった言葉です。
ではジェベという単語ですが、James W. Redhouseのオスマン語辞書には次のように書かれています。
P. جبه jebe, s. 1. Plate or scale-armour; especially, a cuirass, or any piece or plate-armour. 2. Any kind of arms or armour.
ペルシア語起源の単語で、板金鎧または小札鎧、特に胸甲を指す、あるいはあらゆる武器および防具を指すというわけです。
では次にペルシア語の辞典を引いてみます。
جبه juba (from Ar. jubbat), A coat of mail, a cuirass; any kind of iron armour, an upper coat or cloak, a surtout
こっちはアラビア語で外套を意味するジュッバ(アラビア文字のつづりは同じ《جبه》です)から来た外来語で、鎖帷子、胸甲、またはあらゆる種類の鉄製の鎧、さらに外套を指すと書いてあります。
ということで、アラビア語のジュッバから派生したペルシア語のジュベが鎧という意味を持ち、これがオスマン語に伝わってなまってジェベになり、あらゆる武器および防具をも指すようになった、だからジェベジは「鎧師」なんだ…ということになりそうです。
でも、モンゴル帝国史に詳しい人ならジェベという単語、なにかピンときませんか。
ジェベジ=モンゴル語起源説
モンゴル帝国の建国年代記『元朝秘史』は、チンギス・ハンの8人の功臣を4頭の駿馬(四駿)、4匹の猟犬(四狗)と讃えています。このうちの「四狗」の1人がベスト部出身の猛将、ジェベです。
『元朝秘史』によれば、彼はもとはジルゴアダイという名前で、チンギスの宿敵タイチウトに仕えていましたが、敗れて捕虜になった際に、戦いの最中にチンギスの乗馬を射たことを正直に申告したことから、チンギスに気に入られてジェベという名前を与えられたとあります。
このジェべという名前は「矢尻」を意味すると言われていますが、語源はもう少し広い語であったようで、現代モンゴル語で「武器」のことをジェブセグ(jebseg / зэвсэг)というそうです(村上正二訳註『モンゴル秘史 1』平凡社、1970年、p. 337)。
トルコ語の資料でも、比較的最近に出版されたトルコ宗教財団版イスラム百科事典のジェベジの項には、「武器、鎧を意味するモンゴル語のcebeという単語にトルコ語の-ciが付加されたもの」と解説があります。
つまり、ジェべというオスマン語は、モンゴル語と共通の語源を有し「矢」とか「武器」という意味のあったトルコ語の固有語のジェべと、アラビア語の外套を語源として「鎧」という意味のあったペルシア語からの外来語のジュベが混同され、武器という意味と鎧という意味が混ざり合った可能性が濃厚です。(ちなみに、ややこしいことに外套という意味のジュッバはアラビア語からオスマン語に直接取り込まれ、ジュッべというジェべとは別の単語になっています。)
なお、ジェべという単語は現代トルコ語ではほとんど使われませんが、ペルシア語で「家」を意味するハーネをくっつけたジェべハーネ(またはジェプハーネ)に武器弾薬庫という意味があり、現代トルコ語の辞書にも掲載されていました。
ジェベジ軍団の実像
ジェベジは最初に述べたとおり、武器・防具・軍需物資の製造、修理、保管、運搬を担った補助的な兵科でありつつ、ジェベジ頭を長とする独立した軍団でもありました。組織されたのは15世紀中頃とされていますが、16世紀初頭にはすでに500人を超え、17世紀には5000人を突破。内部組織はイェニチェリと同様にオルタやボリュクと呼ばれる部隊に分かれ、66個のボリュクと62個のオルタがあったといいます。
彼らの兵舎はイスタンブルの中心部、アヤソフィア・モスクのそばにあり、そこで弾薬を製造して地方に配給していました。また、ジェベジ自身も遠征に随行して銃兵として働いていたようです。
イェニチェリの補助兵科として近しい関係にあったジェベジは砲兵などの他の軍団と違い、1826年のイェニチェリの廃絶と運命を共にしました。以後の近代軍では砲兵総監の下に設けられた工廠と、各所に置かれた軍需倉庫がその機能を継承することになります。
ではジェベジをなんと訳すか
鎧師ではなかったとしても、ジェベジという概念をピッタリの日本語に訳すのはなかなか頭を悩ませる問題です。
マフムト・シェヴケト・パシャは、ジェベジのことを現代(20世紀初頭の当時)の歩兵大隊にいる大隊付き銃工と同じだと言っています。伝統的な近代軍では、ジェベジに相当する独立した兵科は存在しなかったわけです。
ただし、第二次世界大戦後の軍隊には、武器弾薬の調達と管理を担当する後方支援部隊がいます。そう、武器隊(Ordnance Corps)です。陸上自衛隊では武器科という職種になっています。
ということで、散々迷った末に、ジェベジの訳語には現代軍事用語の「武器隊」を当てるしかないのかなあ、というのが現在の私の考えです。