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【週刊日記】できること、できないこと、できたこと#5

レジ袋代ってどこにいってるんだろう

NewsPicksの配信番組を見るのが好きで、そのサイトで定期で配信されている番組をいくつも、定期でみている。先日堀江貴文さんの対談番組に思想史家の柿埜真吾さんとの対談が、私的には、非常に興味深かった。テーマは「脱成長」戦略に、お二人がご意見を交わす内容であり、「脱〇〇」と言えば、きれいに聞こえさせる社会にものを申しておられた。

見出しにも書いてあるが、私は時に「エコ」というキーワードが商売に使われているのではないかと危惧するときがある。もちろん、地球の温暖化を無視しても良いとは思っていなし、温暖化による世界の気候変更にも気にしながら生活したいと思っている。しかし一方でこれって商売ではない?と疑問に思う時がある。そのひとつがレジ袋の有料化だ。私は手が不自由である。つまりコンビニやスーパーのレジで、言わば健常の方と比べてとっさにエコバッグを出すことが出来ない。このエコバッグに関しても、何回か挑戦してみたのだが、あとの方をお待たせすることが多く、周りを気にしてレジ袋を買うことにしている。もちろんその選択は、個人のものであるので損をしているとは感じていないのであるが、じゃあレジ袋に払ったお金って本当にエコのために使われてるのかなとふと疑問に思う時がある。なんでもかんでも疑問に思うなと突っ込まれるかもしれないけど、年間で計算すれば3千円くらいはいっている計算になるのだから、その行方を知りたいと思うのは私のわがままだろうか。もし、レジ袋のお金が環境のために用いられていれば、嬉しいのであるが。

「ニューノーマル」を作るのであれば

「コロナ禍」になってしまい、新しい生活様式「ニューノーマル」という言葉も聞くようになった。ソーシャルディスタンスを保ち、マスクをし、消毒をし、できる限りオンラインを使う生活を要されている。確かに「ニューノーマル」と言えば、響きが良いと思うが一方でその様式がすべての人にとって良いものとなっていると言えるだろうか?もちろん、個人のわがままをここで述べるな、みんなも我慢してると仰る方もおられるかもしれないが、もともと社会に対して支障があったものからすると、さらにその支障の幅が広がったと感じている。特にオンラインで話すときはより、気を遣い力を使う。もちろんそこは工夫して乗り越えなきゃいけない点でもあるのだが、すべての人が工夫して乗り越えられるととは限らない。この他にも様々なことにおいて、新しい生活様式に、合わせることに困難を覚える日がいるかもしれない。新しく決めて前を向くことは大切であるが、出来ない人がいるって言う事実もどこかで考慮していただけると、非常に幸いである。

意思疎通に向かい合うことにした

この2年、意思を通わせることに、工夫が求められてきた。意思を通わせることは本当に難しい。「意思疎通」と言っても、例えばタクシーの運転手に行き先を伝えることやCafeでカスタマイズを伝えることも含んでくると、私たちの生活に重要な部分になってくる。それで私はこう考えた。私はプログラムを書くことが出来る。もちろん、ガンガン案件をこなすことは出来ないが、自分の「意思疎通」の困難に対してプログラミングを用いることで向かい合うことにした。自分ができないこと、意思疎通に困難を覚えていることをプログラミングやITで解決して行きたい。そうすることによって自分の障がいとさらに向き合いたいと、心に決めたのだ。

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