【週刊日記】できること、できないこと、できたこと#10
大きな地震がある度に
私が住んでる宮城県は、地震大国だと子供の頃から思っている。
私が生まれる前、昭和53年には宮城県沖地震があって、宮城県はずっと大きな地震が来ることが予測され、頻繁に避難訓練をしている地域だと私は思っている。しかしご存知のように、11年前の東日本大震災では、津波被害といった想定外の被害が生じ、たくさんの方が亡くなってしまいました。それ以来、この宮城は地震も含め、津波に対してもどう向き合えるか取り組んできていると私は思っています。
私も、そんな地域に長く生活しているせいか、強い地震が来ることを念頭に置いて生活することを心掛けていた。しかし、自然災害に対する対策はまだまだだと感じることもある。地震が起こったときに、自分が落ち着いて行動できるためには、事前にしっかり備えることがやはり大切である。と思いつつも、11年も経ってしまうと、私の気持ちも緩んでしまう。これから宮城で1人で生きていくためには、いざ大きな地震が来ても、大きな津波が来ても自分の命をしっかり守れるように備えをしていかなければいけないと、自分の気持ちを引き締めるものである。
命を絶とうと思ったこともある
うろ覚えなのですが、今週見たニュースで日本の自殺者が2万人を超えているというニュースを見ました。その中には、子供もティーンもいるようです。副見出しにも書いたように、私を自分の命を止めたいと思うまで追い込まれたことがあります。こういうことを書くと嫌がる方もおられるかもしれませんが、人はそれほど追い込まれるときが誰にでもあると思います。確かあの時を思うと、仕事も、恋愛も、友人も詰まってしまい頼るところがない状況に追い込まれてしまってしまいました。自分が生きてる価値なんて無いと思い込んでしまい、自分の中で防ぎ混み、自分を追い込んでしまったことがあります。今考えてみると「若さ」というものは時にこのように、マイナスに動くときがあります。自分がこの時に、救いになったことは妹に涙を持ってこの現状を話したことが救いになりました。仕事も、恋愛も、生活もうまくいかないことは全部自分のせいであると考えていて、自業自得であるので人に頼っては行けないと考えていましたが、それは自分にとっては追い込むことになってしまいました。でもね、大切なのは誰かに話すことによって救いとなるという点です。私はこの時に正しくものを見ることが出来て、本当に良かったと思っています。もちろんその後も大変なことはたくさんありましたが、いつも一生懸命に生きようと思っています。
命があるからこそ
別件で、書いたコラムのなかで、私は小学校の一人の友人の話を書いた。彼は、筋ジストロフィーという病気を子供の頃に発症し、二十歳という若さで亡くなってしまった。「ご病気」という言葉で処理するにはあまりにも若すぎる死であって、私はその友人の倍を生きたときに、命があることの重要さをひしひしと感じることが出来た。生きていれば、いろんな事や人に出会える。もちろんすべてが良くは見えないが、暗黙の道が開けたりもする。私は、30を過ぎたあたりから、無駄に生きることは辞めようと思っている。もちろん今日は疲れて動かないやとか、お休みの日にゆっくり昼寝をするときもあるが、1日1日が重要であり、少しでも重ねて生きようと心掛けるようになった。大きな自然災害を少しは経験する土地に住んではいるが、親から受け継いだ命を大切に守っていきたいといつも思うものである。