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【あれから、30年… 未来を見据える1月17日】

だいぶご無沙汰をしてしまいました。21世紀も早くも25年目を迎えました。この20数年で、何が変わり、何が変わらなかったのでしょうか。自分自身を振り返ってみても、何を成し遂げ、何を残せたのか、胸を張って語れることはほとんどないように思います。それは、自分を過小評価しているからなのか、それとも性格的なものなのかもしれません。そして、そうした自分を卑下すること自体が無意味だという気もします。しかし一つだけ確かなのは、これまでの経験が今の自分を形作っているということです。

そんなことを考えながら迎えた今日、1月17日。この日は、阪神・淡路大震災から30年という節目の日でもあります。未曾有の大災害として多くの人々に深い影響を与えたあの日は、私自身の人生にも少なからぬ影響を及ぼしました。アメリカから帰国して1年ほど経ち、穏やかで楽しい日々を過ごしていた中で起こった出来事でした。しかしその反面、それまで心の中に抱いていた静かな情熱や、何かに対する怒り、やるせなさといった感情を、どこかに置き忘れていたことに気がついたきっかけにもなりました。

幸いなことに、地震発生時には少し離れた場所にいたため、直接的な被害を受けることはありませんでした。当時住んでいたアパートも大きな被害はありませんでしたが、枕元に倒れていた本棚には冷や汗をかきました。勤務先や同僚たちは何らかの被災や困難に直面し、通勤にも苦労した記憶が鮮明に残っています。

震災当日よりもむしろ、その後の非日常的な日常の中で、さまざまな疑問や葛藤が浮かび上がりました。将来への不安や忘れかけていた静かな炎に気付かされたのは、まさにこの時期でした。その後の10年は、辛く長いトンネルの中にいるような日々でした。失敗や挫折を味わい、自分の過去の決断を否定し、後悔に苛まれる時間が続きました。「あの選択が間違いだったから、今が苦しいのだ」と考え、前に進めなくなることもありました。

それでも、こうして振り返ると、苦しかった時間があったからこそ今の自分があるのだと感じます。そして、その経験があったからこそ、今の自分にしかできないことに出会えたのだと思います。静かに燃やし続けてきた炎を消さずにいられるのも、その経験があったからに他なりません。失ったものや後悔したことも多くありますが、それらと同じくらい大切な経験を積み重ねてきたのだと思います。今となっては、あのトンネルを抜けたことも、人生の財産だったと言えるようになりました。

自然の力は、人間の想像を超える大きなものであり、ときに甚大な被害をもたらします。30年前の今日、突如としてその力に直面し、多くのものを失った人もいました。しかし、人間にはその経験を糧にして次の一歩を踏み出す力があります。今日、1月17日は、あの日を忘れず、未来のために自分ができることを考える日としたいと思います。傲ることなく、謙虚に、利己的にならず、優しく穏やかに生きるためのきっかけとなる日です。

あの日を忘れず、未来のために。合掌。

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