Born the ghost

疑心暗鬼を生ず

疑い深い人を見たことがある。

自分の視野の隅で、誰かが声を落として話しているのが気になって仕方がない。

絶えず相手を見張っている。

ある種のサイコパス的傾向ではないだろうか。

そういう人に限って、実に短絡的で、驚くほど底の浅い陰謀説に飛びつく。真相を知ったつもりになって、およそ真相とは程遠いところで膝頭を抱えているのだ。

疑心暗鬼とは、慣用句だが、正しくは「疑心、暗に鬼を生ず」(列子)。

注意すべきは「鬼」が決して、日本語の「鬼」とは異なることである。

日本語の「おに」とは、一説には「陰(おん)」の変化したもので、姿のないもの。不可視な存在、という意味であったが、平安時代以降、仏教的な地獄説話の流入と、疫病の発生があいまって、ビジュアルが固まっていく。

赤い皮膚で、角と牙をもつ,凶暴な風貌。そうしたキャラのデザインに、古来の荒ぶる神のイメージがつながり、文学や絵画にリリースされていく。
ところが列子には、そうした背景がない。

だから「鬼(グイ)」の意味は違う。決して、荒々しく、超常的な能力という意味は含まない。日本語の幽霊に近い意味である。

つまり疑心暗鬼を正確に日本語表現するなら、こうだ。

「疑う心が、暗がりに幽霊を生じさせる(誤認する)」

まさにその臆病な様を指していると理解するのが、正しい。

鬼=幽霊。幽霊の正体見たり枯れ尾花。霊の存在を否定するか肯定するか、ではない。

存在しないものを、勝手に作り上げるか否か、である。

こういうことをいうと、時々反論される。

漠然と競争社会

お人好しに人を信用するような、東洋的な腹芸では、世界を渡りあえない、などと心ないことをいうのだ。

アメリカのような競争社会では、簡単に人を信用などしていないと。

待てよ? 本当にそうなのか?

正直は最良の策であると言ったのは誰か?

Honesty is the best policy.

わお、ベンジャミン・フランクリンって、アメリカ合衆国”建国の父”メンバーじゃなかったっけ?

アメリカ人はみんな横柄で、猜疑心の塊で、だから物質的に豊かになったのだと思い込んでいるのは、地球上でせいぜい日本人くらいなんじゃないのか。(アメリカ人自身も、猜疑心と競争心が強いと言われたら傷つくだろう)

それこそ、暗がりに生じた幽霊である。

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