フェアでなければ生きていけない。違法アップロードについて。
映画泥棒という言葉にロマンはあるが
映画館にいくと、上映前に注意喚起が入る。スマホの電源を切れとか、前の座席を蹴るなとか。
そのなかに、撮影や録音をすることは違法であるとか、それによって得られたものをアップロードすることは違法で、違法と知りながらダウンロードすることも違法であると。
漫画媒体が問題になったこともある。
特定のサイトにいけば、買わなくても、漫画が読めてしまうということがあった。
無論、無料であれば試し読みしたくなる。だが、全巻無料という入り口を密かに設けられるのは問題である。
マナーの悪い読者に食い散らかされたあと、クリエイターは生き残れるのか。生き残れるわけがない。生き残るのは、サイトの広告主だけだ。
モラルのことは一旦、傍に置くとして、そもそも対価について考え直すべきではないか。
音楽作品や著作には、印税が発生する。
作品の提供元(出版社や音楽レーベル)が、作品(書籍やCD)を販売して得られる利益をクリエイター(作者、ミュージシャン)と分け合うのが印税。
では、そもそも印税がなぜ支払われるのか。
文化は特権だから義務がある
かつて、音楽を聴くためには、作曲者を招く必要があった。作曲者のみが演奏できるものであったのだ。貴族は自分の邸宅に作曲者を招き、演奏させギャラを支払っていた。
ところが複数の貴族の邸宅に、同時に訪問すくことはできない。そこで、代わりに演奏者を雇って、譜面通りに演奏させる。
本来は作曲者自身が演奏して、その音楽は成立させるのに、それを別人で代用した。
このごめんちゃい代と、そこに作曲者がいくことで得られたであろう代金を支払うのが、印税のルーツである。
つまり文化をたしなむことができる特権には、義務が存在していたのだ。対価という義務を果たせないような、使用人や奴隷には、文化を楽しむ権利などなかったのである。
しかし市民革命以来、権利は全ての人間に与えられるものに変化した。
我が国では、世界に先駆けて、文化的な生活を保障する条文が七十年以上前に成立している。(日本国民でありながら、音楽を聴いたり、書籍を自由に読むことができないのなら、その窮状を国に訴え出ることができるし、与党とか野党とか、地域行政の逼迫した事情とか、現状などとは関係なく、国はそれを実現する義務を持つ。図書館がそれにあたる)
権利はすでにある。文化を楽しむ権利である。
だが、商業活動を阻害する権利は誰にもないし、阻害したとすれば、それは犯罪である。漫画を出版している版元の商業を、阻害していることはどう考えても違法である。
違法アップロードで得られるもの
違法にアップロードされたものを見ることができるだろう。それを見ることで、得られるものは鑑賞体験である。
だが、冷静に考えてみるべきだ。
不正に用意されたものを鑑賞したということは、貴族が楽しんでいる音楽を、隠れて盗み聞きしていたことに他ならない。文化を愛したことではあるが、文化を楽しむに相応しい行動とは到底いえない。
つまり守ったのは財布だけであって、行ったことは、奴隷の中でも軽蔑される貧乏な所業なのだ。これでは、およそ近代国家の主権者の所業とは呼べない。
北京に留学した先輩が見せてくれた漫画雑誌がある。
数年前の、週間少年ジャンプの吹き出しだけ中国語にした、わら半紙にコピーされていたものだった。
中国のコピー商法は世界でも屈指のものであり、米中交渉でもその話題は何一つ進展していない。
コピーしてしまえば、それで仕方ないという文化なのだ。
それが卑しいか、卑しくないか。
その結果は何か。
かの政権が政権樹立を宣言後、世界的に愛されている小説や映画が、どれほど作られたのか。
もう火を見るより明らかである。
映画や漫画、音楽を不正にアップロードするのは、やはり違法である。
法律的に良くない、だけではない。
現在進行形で人間の品位を貶め、将来的に作品を作る能力を衰えさせる。
それに見合うだけのものが、そもそも財布に入っているのだろうか。
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