神々に捧げるもの
中世史の研究が九十年代には盛んになった。そうした中で、印象的だったのは演舞や、歌など、芸能を奉納する人々であった。
つまり世俗の権力者(民俗学でいう世俗王。将軍や大名)は、あくまで脇に控え、演者と神(神聖王の天皇もここには含まれる)は対峙した位置に座るというもの。
芸術や文化は、世俗の盛衰とは隔離されている。
ロマンチックにいうと、そういうことだ。
だが、そういうロマンチックな設定を求めていながら、世俗の勢力は絶えず、この聖なる関係に介入してくる。
戦前、満州に入植した人々によって、ロシア人がコミュニティとして教会を建設していたのに対抗して、積極的に神社や寺院を建設する。(戦後のものぐさな学者は、国策として神社が作られたという戦争贖罪史観に基づいた痛いことをいうが、実は逆。神道は民俗宗教であるため、神話に登場しない=神代の昔に、そこに神様はいなかった=外国にもっていっても根付かないとして、国内への参詣は奨励したが、海外布教には消極的であった。世界宗教たる仏教=本願寺の方が柔軟に協力的であった)
戦後はそうしたことがなく、表現の自由、信仰の自由が保証されて、国民の手にもどった。
一般的にはそう思いたいところ。
しかしこれも実は、世俗のタブーまみれ。
表現の自由の名のもとに、信仰を持たない人が神々の前で、怪しげで、独創的な、観客ほったらかしのちんぷんかんぷんな芸術を奉納しても、全然ありなのだ。
つまり現地の氏子や、地域社会の信仰など、芸術家さまの自由な表現の前では、糞食らえなのだ。
白目を剥いて、お決まりのフレーズをシャウトして、よく分からない言動をしていたあの芸術家を、自分が好きになれない理由はそこにある。
そもそも、弥生文化すら明確に定義されていないのに、縄文文化なるものが、はっきりと存在したのか? マルクスの権力闘争史観の学者が強引に行った、記紀神話の解釈を、どうして鵜呑みにして、二つが対立し、弥生が縄文文化を滅亡させたなどといえるのか。ちゃんと反証しているのか?
なんとなく虐げられた者目線を捏造していないだろうか。
弥生文化なるものの後にも残る、素朴な海洋信仰や自然崇拝や、円空仏に象徴される火炎表現はどう説明されるのか。
まさか、そうした研究を無視して、直感だけに頼った軽薄なものを、神々の前で披瀝して、信仰よりも表現の自由の方が尊いなどと、近代のエゴイズムをぶちまけるのではないだろうな? それが原始芸術だとしたら、へそで茶がわかないか?
チャールトンヘストンの『十戒』みたいに、ピラミッドを作るのに、鞭で民衆がたたかれてたとかいう、昔々、ソ連時代の歴史観を元に、虐げられてた人々を作り、彼らの芸術を勝手に憶測し、古代の神々とは関係なく、演じているのか? そんな神々を否定するようなヤカラは、奉納などしていない。そんなことを神前で許すなど、神社の不信心を疑う。
なんでもいいというのなら、最初からアメノウズメショー(まな板もあるかも)を18禁で開催すればいいのに。
神道に教義がないなどと、無神経なことをいう、不信心な人をしばしば見受けられる。神道に教義はある。それは神代の昔と同じような舞や、音楽をできるだけ再現しようとすることである。進歩的神道など、言葉の完全な矛盾である。神代の頃から伝わる儀式と、感覚を守って(守ろうとして)、神々にぬかずき、柏手を打つ。これが神道の教義である。
そうした信仰を無視して、優先される表現の自由に、神々は存在しない。そして、神々のましますところで行われることではない。神々よりも尊いものをお持ちの方には、神々は必要ない。
原始芸術というものが、好きになれない理由は、こうした理由である。
テンポはトロいが、ヤマタノオロチがスサノオに倒される備中神楽は、迫力あってたのしめる。そういう感覚を否定された気分になるのだ。
キライなものは、なぜキライなのか。ちゃんと説明できるようでいたい。「なんとなくキラい」という表現は、なんかロリコン臭く、印象に頼りすぎていてキライ。
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