アッセンブリーホール
2001年10月24日。話は前後する。2週間も全く顔を見せなかったツェリン・ドルジェだったが、昨日、私がTCVまで出向いていった翌日から毎日、また9-10-3の私の部屋を訪れてくるようになった。しかも午前中からやってきた。何を考えているのか分からないが神経が図太いことは確かだろう。連絡もよこさず無断で来なくなったことの侘びなど一言もない。こいつもまた「ノープロブレム」な人間なのか?
「で、何で来なくなったの?ずっと待っていたんだよ」
という問いに、悪びれもせず、ただ、
「バイクが故障していたから」
などとぬかすではないか。歩いて来いよ、歩いて。
「せめてオートリキシャに乗ってでも通って来いよ」
と言いたいところだが、こいつには通用しない。とことんお気楽な性格だ。こっちは40万の資金を投じてCADのシステムを用意したのである。せっかくボランティア募集の掲示板を見てはるばる日本からやって来ているというのに、そんなことは考えなかったのだろうか?何度、途中で投げ出して日本へ帰ろうかと思ったことか・・・
「だったら一言連絡しろよ」
と喉元まで言葉がでかかった私だが、相手はその上を行くノー天気なヤツだ。言っても無駄だろう。2週間の時間があったのなら、ダラムサラからマナリヘ行って、運がよければラダックに行って帰って来られるだろう。そう思うと腹立たしい。時間の無駄をさせやがって・・・と思うが仕方がない。ここはインドである。分刻みで行動している日本人が相手ではないのだ。大陸的な悠長さと言ったらいいのだろうか?顔を見ると「2週間がどうした?」といった表情をしていた。
私がこの間、していたことは、ダンスのワークショップに参加していたことと、デラドゥーンから来たタシとホームページ作りをしていた事くらいである。ちなみに、タシとの共同作業についてはまた改めて書く予定である。どちらも貴重な体験ではあったが・・・
昨日、バイクの後ろに跨ってTCVへ向かっている時、ヤツの口からから仕事を手伝ってほしい云々ということを聞かされた。当初は「仕事???」と何のことかさっぱり分からなかったが、この日、私の部屋に来たヤツの手には何枚かのスケッチが握られていた。手描きのスケッチで要所に寸法が入れてある。そういうことか・・・
「カンチェン・キションのアッセンブリー・ホールの拡張工事のプレゼンテーションをCADでやりたいんだが、手伝ってくれるか?」
頼まれると、私はそれを断れない性格だ。今までも日本の会社でそうやって何でもかんでも引き受けてしまって首が回らなくなったことが度々ある。仕事は何とかクリアしたのだが、プライベートでは自宅をレコーディングスタジオにしたばっかりに(それも友人に頼まれて)近所を巻き込んだ騒音トラブルを引き起こしたことがあるくらいだ。悪いのは悪友のKだがその部屋を借りているのは私である。菓子折り持参で謝り行った。そういう性格なので、この仕事の手伝いに対しても、
「今まで勉強していたことを活かせばいいじゃないか。自分でやったら?」
とは言えない。結局引き受けてしまうことになった。
「既存のアッセンブリー・ホールの寸法を教えて」
そう言うとツェリン・ドルジェはスケッチを眺めて、まずは壁の内面の寸法から測りはじめた。壁があって、柱かあって、ドアが何処そこに付いていて、それぞれの寸法がいくらいくらと言うのにあわせて私はリアルタイムにCADにデータ入力していった。
「壁の厚さは?」
「レンガブロックの規格があるから9インチだ」
パチパチパチ。マウスを動かす音とキーボードをたたく音だけがこだまする。
「じゃあ、通り芯は逆算して○○フィートXXインチでいいね?」
私があまりに素早くデータ入力していたものだからヤツはちょっと驚いていた。
アッセンブリー・ホールの増築案は既存のホールにオブザーバー席とVIPルームを西側に増築しようと言うものであった。既存のホールの中央にはダライラマの座席と議長席、議事を記録するための速記者席があり、それを取り囲むように左右に26席、計56席が収容される。既存のホールはレンガブロックを積み上げて造られているので壁厚は厚いが、増築部分は鉄筋コンクリートで作るので壁はそれほど厚くはない。既存のホールの壁一面をくり貫いて窓にして、会議の模様を観覧できるようにしたいと言う。
新しく造る部分の構造は一応は鉄筋コンクリートのラーメン構造だが、ツェリン・ドルジェの言うとおり柱・壁・開口部を配置していくと、柱は両サイドは通り芯に合っているが、中間部分はずれている。
「いくら混構造だといっても柱は既存の建物の通り芯に合わせなくていいの?」
「ノープロブレム」
本当に大丈夫だろうか?
日本で何年か建築の設計をやっていると、綺麗に柱・梁がそろったラーメン構造にしてしまいがちだが、インドでは違うらしい。と言ってもデザイン重視でもないが・・・
あ~~~だ、こ~~~だと何とか平面図を描き終わると次は立面図を描いてほしいと言いだした。こうなっては乗りかかった船である。やってやろうじゃないかと、いま描いた平面図を移動し、時には回転させて壁や窓から垂直線をおろしてそれぞれのラインを描き、ついでに窓のガラス面にも色を付けてやった。普段は手描きの白黒モノトーンの図面ばかり描いているツェリン・ドルジェは大喜びだ。
私がせっせと図面を描いていると、ご機嫌でも取ろうというのか、
「下(のレストラン)でコーヒーとパンを買ってくる」
と言ってヤツは部屋を出て行った。私も久しぶりでCADの早打ち(とでも言ったらいいのか?)したものだから少々疲れて、図面を描く手を休め、タバコに火をつけた。
窓からは夕日でピンク色に染まったヒマラヤが見える。何度この景色を見たことか。飽きることはない。ずっとこの景色を見ていたい。ヒマラヤに抱かれて生活したいと思う半面、こんな田舎町はすぐに飽きてしまうだろうな~~~と思ったりして、心は相克していた。
ダラムサラの気候がいい時期は10月から11月の終わりまでである。年に一回、この時期にダラムサラに来られるようになれればいいなと、そろそろ帰国後の生活設計をぼんやりタバコを吸いながら考えていた。どうせ帰ったらまた仕事探しをしなければならない。
ダラムサラで職を探すと言う当初の夢はいつの間にか崩れ去っていた。部屋代が月に3000ルピー、その他食費や諸々の雑費を考えたら1万ルピーは最低稼がなければならない。CADの技術はいいとして、果たしてそんなに仕事があるものなのだろうか?小さな町である。設計の仕事などたかが知れている。建築家の中原さんは何年もインドで生活してインドのチベット人コミュニティーに太いコネクションを持っているからデラドゥーンやビルなどのほかの街のビックプロジェクトの設計をこなしているが、私はコネなど一つもない。しかも彼の片腕で仕事が出来るほどの語学力もない。所詮、ボランティアで終わる身なのだろうな~~~としんみり考えた。
ツェリン・ドルジェがコーヒーとパンを持って部屋に帰ってきたときには大半の図面は完成していた。
「これでいいの?」
と聞くと断面図も描いてくれという。しかも基礎のフーチングまで描けというではないか。
「地形も分からないし地盤の調査もしたわけじゃないから無理だよ」
と言うと、
「それっぽく描いてくれればいいんだよ」
ほんとにそれでいいのか???インドってそれほどアバウトなのか?謎は深まる。
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