30.陸路の帰省
夏休み・冬休み・春休みの帰省には、普通、函館~名古屋、または羽田乗り換えの函館~大阪(伊丹)の飛行機を利用していたのだが、たまには違った帰り方がしたいと思ったので、陸路と海路の両方を検討した。ぼちぼち飛行機に飽きてきた頃である。時間はたっぷりあるので優雅な旅をしたかった。
まず海路は、小樽~舞鶴、小樽~敦賀、苫小牧~舞鶴の日本海フェリーか、名古屋~苫小牧の太平洋フェリーしかなかった。これだと、国鉄(現JR)で小樽または苫小牧まで行かねばならず、しかも舞鶴や敦賀、名古屋から電車に乗らないと帰れない。優雅な船旅を期待していたのだが、あまりに面倒くさくて直ちに却下した。そこで陸路である。まだ東北新幹線は開通していない。
私が2年生の頃、青森~大阪という、国内で昼行列車で最長距離と最長時間を誇った「白鳥」という特急電車があった。青函連絡船を使えば乗り換え1回で京都まで行ける。それに馴染のない日本海側を走るというのも魅力的だった。
帰省当日、寮で遅くまで待機して、0時40分の青函連絡船「桧山丸」に乗った。真夜中の津軽海峡はなんだか薄気味悪い。ずっと船室で本を読んでいた。寝ようと思った買ったビールもそのうち無くなり、結局4時30分の青森についてしまった。青森に着く前に船内では青函連絡船「桧山丸」の歌が流れていた。元気な歌だったが、聴いてどこか物悲しく聞こえてきたのはなぜだろう?
「白鳥」は早朝の5時20分に青森を出発する。青森駅に着くと既に白鳥はホームに待機していた。早速指定席に陣取る。当時は特急の中と言えば喫煙車が多く、私もタバコを吸って出発を待った。他の乗客はほとんどいなかった。私は当時の愛読書「時刻表」を眺めながら何時にどこに着くかなどを想像していた。5時20分。時刻通りに「白鳥」は走りだし、青森駅を離れ、早朝の薄暗闇の中を走り始めた。次の停車駅は弘前だ。
特急「白鳥」は1961年(昭和36年)10月のダイヤ改正で誕生した。「白鳥」の由来は、瓢湖(新潟県水原町)に飛来する白鳥である(今では水原は経由しなくなったが)。当時はディーゼル特急で大阪-青森を結んでいたが、羽越線電化にあわせて、1972年(昭和47年)10月には電車化され、最新の485系を投入。大阪-青森を結ぶ唯一の昼間特急として活躍した。本州・北海道間の移動は鉄道が主力だった時代、そして東北新幹線が誕生するまで、急行「きたぐに」、夜行特急「日本海」とともに、関西と北海道を結ぶ「日本海縦貫」の主役であった。
長い旅が始まった。停車駅をざっと紹介すると、青森駅~弘前駅~大館駅~鷹ノ巣駅 ~東能代駅~秋田駅~羽後本荘駅~仁賀保駅~象潟駅~酒田駅~鶴岡駅~あつみ温泉駅~村上駅~坂町駅~中条駅~新発田駅~新潟駅~新津駅~東三条駅~長岡駅~柏崎駅~直江津駅~糸魚川駅~魚津駅~富山駅~高岡駅~金沢駅~松任駅~小松駅~加賀温泉駅~芦原温泉駅~福井駅~鯖江駅~武生駅~敦賀駅~近江今津駅~京都駅~新大阪駅~大阪駅。約13時間の旅だ。約13時間という時間は飛行機ならば日本からヨーロッパまで行ける。私が乗ったのは青森から京都までだが、こんなに長い時間、一つの交通機関に乗った記録はいまだ破られていない。
取りあえず奥羽本線の車窓の風景を見ていたのだが、取り立てて見るべきものはなかった。弘前駅を出て大館駅までは山間部を走る。山間部と言っても見て楽しいような山も無く、秋田を出発し、羽越本線に入って秋田市の市街地を走り抜けると日本海が見えてきた。しかし、夏の日本海はそれほど情緒を誘うものではなく、冬にこのルートを使えばよかったな~と思うほどだった。
この辺りから乗客もだんだん増えてきて、私の隣にもオヤジが座った。それまで自由にタバコを吸ったりビールを飲んだりしていたのだが、高校生だということがばれると拙いので我慢することにした。隣のオヤジは日の丸弁当を食べ始めている。私にも勧めてきたが、当然断った。
新潟県に入ると、平野部は一面の水田である。稲穂が青々しかったがそれが延々続くと苦痛になる。シベリア鉄道の延々と続くツンドラの大地ほどではないが、車窓の景色に変化がないことほど辛いものはない。新潟駅で進行方向が変わって、今度は信越本線に入る。あたりはまだ水田だ。
柏崎駅を出るとまた海岸線を走ることになるのだが、単調な海岸線が続くばかりで少しも楽しくはない。直江津駅を出発すると北陸本線に入る。糸魚川駅を出て知らない間に親不知を通過し、魚津駅、富山駅、高岡駅に停車して金沢駅に着くとようやく以前にも乗った電車の区間に入った。
敦賀駅を出発してしばらく走ると、湖西線に入り、ようやく琵琶湖が見えてきた。琵琶湖を見ると関西人は帰ってきた~~~!!!と思うのではないだろうか?ここまで約12時間半。自分でもよくやったと思う。京都に着いた時はもう体力の限界であった。しかも、京都独特の湿気を含んだ熱気に頭がボーっとなって、早く近鉄電車に乗りたかった。