8.寮へ
学校から渡り廊下を通って寮に行った我々がまずやらなければならないのは、引越し荷物の整理である。事前に宅配便で送っておいた生活用品などの荷物は寮の食堂(だったと記憶する)に山と積まれていた。荷物は近くは松前や江刺から、遠くは稚内や網走、東京、大阪から届いている。山のような荷物の中から自分のものを選び出し、教えてもらった自分のベッドやロッカー、自習室の机や棚に運んで整理する。150人近くがその作業をやるので寮はほとんどパニック状態になった。こちらがせっせとその作業をやっている傍ら、母はといえば京都からきた上田の母親と世間話をしている。
「まあ、京都から来はったんですか~」
遠くの学校に息子をやる母親同士、しかも同じ関西人だ。気が合ったのかもしれない。関西ネタで両者盛りあがっていた。その後2人は仲良しになる。
ドヤドヤと1寮(1年生が入る寮)を行ったり来たりして、夕方になってようやく片付いた。1寮の寝室の景色はというと壮観そのものだった。1階と2階に分かれている大部屋にはずらりと木製の2段ベッドが並んでいる。それは東南アジアの安宿のドミトリーをも遥かに凌ぐ壮絶な部屋で、寮と言うよりまるで収容所だ。いまは中学も出来たことだし、どうなっているんだろうとインターネットで検索してみると・・・
あるではないか。寮の公式ホームページが!
どれどれ。おお~~~綺麗になってるではないか!
航空写真を見ると、中学の寮が新設され、昔からの高校の寮は2010年度で創立50周年を迎えるため、その一環として高校寮は建て替えられたらしい。さすがに卒業から25年だ。全面改装されたのだろう。しかも、高校の寮は中学からエスカレートで進学した内進生寮と高校から新たに入学してきた新入生寮に分かれている。とうとう、あの、首吊り自殺があったと噂された旧1寮1階の開かずのトイレもなくなってしまったのか・・・。木製のベッドは相変わらずだ。写真を見る限り明るそうな雰囲気だが私が入寮した当時はけっこう暗かったような記憶がある。
ここでの生活は、ホームページから引用してみると
「1年生の寮には個室がなく、全ての生活が大きな集団単位で営まれます。二段ベッドがズラリと並び全員が寝起きを共にする寝室、32人単位の学習のための自習室、それにテレビ室と簡単な調理設備を整え、談話室の機能を持たせたラウンジが生活の場の全てです。この1年の生活形態を大部屋方式と呼んでおりますが、一見時代錯誤とも思えるこの生活様式が、まだ半分子供の1年生にとっては大きな利点として作用します。多くの仲間と一緒にいることで寮生活に早くなじめることと、友人関係も作りやすいこと、ホームシック等による精神的な緊張を緩和してくれること、あるいは仲間からの刺激で自発的に勉強の習慣が身に付く等の点で成果を上げています」
と、いうことになるが、それはあくまでも綺麗ごとだ。ここでその内実を暴露してやる。半分子供などと言っているが、そんなに可愛いものではない。15歳という年齢は早く大人になりたい盛りである。いつ「童貞」を棄てるか?それが大問題の年齢だ。
ところで「ラウンジ」ってなんなんだ?そんなものあったか?
引越し作業が終わってベッドでシェイクスピアなどを読んでいると母がやってきて、
「こんな暗いところで本なんか読んでたら、目が悪くなるやんか。それに一人っきりでいたら友達もでけへんで。あっちに行って友達と話し。」
と言って私を京都出身の上田のベッドに連れて行った。
私は人見知りである。いまでもそうだと思っているが、当時はなおさら人見知りだった。京都の上田とは関西ネタで話は合ったものの、道内各地や東北から来ているヤツとは何を話していいかわからない。とりあえず、
「どっから来たの?」
で会話ははじまり、一通りの自己紹介を済ませると、あとは自分の出身地がどんなところなのかという、まあ、お国自慢のような会話が続いた。それはそれでアジアの安宿で他人の旅の話を聞いているようで楽しかったのだが・・・
そして、そうした話しを通して、後に地方出身者を驚愕させる出来事が起こった。