5. ハウスホーファー、ヴリル協会、地政学
ヒトラーの思想上のもうひとつの大きな影響は、1904年~1905年の日露戦争後の日本におけるドイツ軍の顧問だったカール・ハウスホーファー(1869年~1946年)の存在である。彼は非常に日本文化に感銘を受けていたので、多くの人は、彼が後にドイツと日本との同盟関係を担当していたと信じている。彼はまた非常にインドとチベットの文化に興味を持っていた。サンスクリット語を学んで、彼はチベットを訪れていたと主張していた。
第一次世界大戦において将軍を務めた後、ハウスホーファーは、1918年にベルリンでヴリル協会を設立した。ハウスホーファーは第一次世界大戦で数々の軍功をあげた将軍であり、大戦後はミュンヘン大学の地政学教授となった。そして彼は「ミュンヘン地政学研究所」の所長も務めた。「地政学」とはイギリスの帝国主義者サー・ハルフォード・マッキンダーのひねり出したもので、植民地拡大主義を正当化したものである。
ヴリル協会は、トゥーレ協会と基本的な理念を共有し、何人かは、秘密結社であったと言う。協会はヴリルの力を得るために地球の下に住んでいる超人間との接触を求めた。また、アーリア人種の中央アジア起源を主張した。ハウスホーファーは、地政学の教義を開発し、1920年代初期に、ミュンヘンのルートヴィヒ・マクシミリアン大学で地政学研究所の所長になった。地政学とは、力を取得する手段としてより多くの生活空間(生存圏)を得るために征服し、領土を主張した疑似学問である。
ルドルフ・ヘスはハウスホーファーの近い生徒の一人だった。1923年、ヒトラーは失敗したミュンヘン一揆のために刑務所に入獄しており、そこでヘスはヒトラーにハウスホーファーを紹介した。その後、ハウスホーファーはしばしば未来の総統を訪問し、トゥーレとヴリル協会の思想との関連でヒトラーに地政学を教えた。したがって、ヒトラーは1933年に首相になったとき、彼は東欧、ロシア、中央アジアを征服するアーリア人のための彼のポリシーとして地政学を採用した。成功の鍵は、中央アジアのアーリア人種の先祖を見つけ、ヴリルの秘密の保護者を名乗ることであった。
ヴリル協会の存在が広く知られるようになったのは、1960年にフランスで出版されたジャック・ベルジェとルイ・ポーウェルの共著『魔術師の朝』(日本では『神秘学大全』の題で抄訳が出ている)で取り上げられたことによる。同書はルドルフ・ヘスのミュンヘン大学における教官であった地政学者ハウスホーファーがヴリル協会の創設者であったことから、この団体とナチスおよびトゥーレ協会とを結びつけた。