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32.卒業論文

4年生になると、卒業研究として卒業設計と卒業論文をやらなければならない。卒業設計は必須であったが、卒業論文はゼミに替えてもよかった。しかし、せっかく大学に来たのだから論文を執筆したいという欲望もあり、どうせ論文を書くなら先端技術というか、それとデザインの関係みたいな事柄について研究してみたいと思っていた。
毎週末、クラブに通ってハードテクノで朝まで踊り狂っていたサイバー青年だった私はコンピュータやデジタル・テクノロジーにはまっていて、真っ先に研究テーマとして思い浮かんだのはCADである。大学の4年間を通じて一貫して提唱してきたテーマがアート=サイエンス=テクノロジーだったので、もうそれしかない。
1980年代頃に使われた、当時の先端の技術を利用したアート作品を指す言葉にハイテク・アートというものがある。戦前から70年代までの間にも、機械や当時の技術を用いてさまざまな作品がつくられてきたが、そういったものをハイテク・アートと呼ぶことはない。アート界では、61年にアムステルダムとストックホルムで開かれた「芸術における動き」展で、機械仕掛けで動く作品いわゆるキネティック・アートが広く紹介された。また60年代後半には、エレクトロニクス(電子工学)を使った作品を集めた展覧会が、ニューヨークやロンドンで開催された。これはサイバネティック・セレンディピティ展で、私は在学中のいくつかのレポートでこれについて言及したことがある。
サイバネティック・セレンディピティ展は、1968年にロンドンのICA(Institute of Contemporary Arts)で開催された初のコンピュータ・アートによる大規模かつ複合的な展覧会で、当時ICAのアシスタント・ディレクターであったヤシャ・ライハートが中心となって企画を進めた。同展の発端はシュツットガルト大学教授のマックス・ベンゼからライハートへの助言による。展覧会の名称となったサイバネティクスは、ノーバート・ウィーナーが提唱した制御と通信の理論に由来する。セレンディピティとは偶然に思わぬ発見をする能力や幸運を意味する。同展の趣旨として「人間とエレクトロニクスがマシーンをコントロールし、コミュニケーションすることによって幸運を作り出す才能の発見」「どのように人間がコンピュータと新しいテクノロジーを利用して、創造性と創意工夫の視野を広げられるかの実証」が掲げられた。
同展の内容は、(1)アーティストによる作品(コンピュータによるグラフィックやアニメーション、音楽、詩)と、(2)エンジニア、科学者、メーカーによる技術的な成果およびデモンストレーションに大別することができるが、これらの二つを同列に扱ったのが特徴である。会期中、多数の講演会、パフォーミング・アート、コンサートなどが開催された。ICAでの会期終了後、規模を縮小しつつワシントンDCのコークラン・アート・ギャラリーおよびサンフランシスコのエクスプロラトリウムの2会場を巡回した。それまで制作にコンピュータが関与した作品は旧来からの芸術とは異なるものと考えられていたが、相互を関係づける結節点となり、今日に至るメディア・アートの起点となった展覧会である。
80年代に入ると、一般に普及しはじめたパーソナル・コンピュータを使ったコンピュータ・グラフィックス(CG)、ヴィデオ・アートやヴィデオ・インスタレーション、ホログラフィやレーザーなどを用いた視覚に訴える作品など、新しいテクノロジーによる作品が多く生まれるようになった。こうした作品は「ハイテク」な「アート」作品として、85年に開かれたつくば科学万博のようなイヴェントや展覧会によって、人々に紹介された。こうした技術を取りこんだアート作品は、やがて作品と観客が双方向に楽しめるインタラクティヴ・アートや、ヴィデオやコンピュータを組み合わせたメディア・アートといったものへ発展するが、その時代時代によって最先端の技術が変化していくため、定義は曖昧であり、ハイテク・アートという言葉自体を現在はあまり使うことはない。
これは、アートから見たハイテクへのアプローチであるが、では、科学技術から見るとどうだろうか?まず思い浮かぶのはフラクタルである。
フラクタルは、フランスの数学者ブノワ・マンデルブロが導入した幾何学の概念である。ラテン語の fractus から。図形の部分と全体が自己相似(再帰)になっているものなどをいう。フラクタルの特徴は直感的には理解できるものの、数学的に厳密に定義するのは非常に難しい。マンデルブロはフラクタルを「ハウスドルフ次元が位相次元を厳密に上回るような集合」と定義した。完全に自己相似なフラクタルにおいては、ハウスドルフ次元はミンコフスキー次元と等しくなる。フラクタルを定義する際の問題には次のようなものがある。
・「不規則すぎること」に正確な意味が存在しない。
・「次元」の定義が唯一でない。
・物体が自己相似である方法がいくつも存在する。
・全てのフラクタルが再帰的に定義されるとは限らない。
フラクタルの具体的な例としては、海岸線の形などが挙げられる。一般的な図形は複雑に入り組んだ形状をしていても、拡大するに従ってその細部は変化が少なくなり、滑らかな形状になっていく。これに対して海岸線は、どれだけ拡大しても同じように複雑に入り組んだ形状が現れる。そして海岸線の長さを測ろうとする場合、より小さい物差しで測れば測るほど大きな物差しでは無視されていた微細な凹凸が測定されるようになり、その測定値は長くなっていく。したがって、このような図形の長さは無限大であると考えられる。これは、実際問題としては分子の大きさ程度よりも小さい物差しを用いることは不可能だが、理論的な極限としては測定値が無限大になるということである。つまり、無限の精度を要求されれば測り終えることはないということである(海岸線のパラドックス)。この様な図形を評価するために導入されたのが、整数以外の値にもなるフラクタル次元である。フラクタル次元は数学的に定義された図形などでは厳密な値が算出できることもあるが、前述の海岸線などの場合はフラクタル次元自体が測定値になる。つまり、比較的滑らかな海岸線ではフラクタル次元は線の次元である1に近い値となり、リアス式海岸などの複雑な海岸線ではそれよりは大きな値となり、その値により図形の複雑さが分かる。
こうした、美術&科学技術双方の背景もあってやろうと思ったCADの研究であるが、残念ながら多摩美術大学には当時、CADが一台もなかった。確か3年生の冬休み前後の時期だったと思うが、まず平山助教授に卒業論文でCADについて書きたいと相談してみると、東京藝術大学の先生を紹介してやると言われた。「うちの大学に変わった学生がいる」と。しかし、具体的にどうするかは説明してくれなかった。そこで、もうひとり、原教授に相談してみると、具体的なスケジュールや研究の進め方について話し合いたいので、東京工業大学の方の研究室に来るように言われた。原先生の研究室に行ってみると、その場で当時相模原にあった職業訓練大学校の山崎先生に電話してもらい、身柄引受みたいなかたちでその後、職業訓練大学校(現職業能力開発総合大学校)の山崎研究室に通うことになる。
原先生の紹介で山崎研究室に行ってみると、まず、どういうことをしたいのかをレジュメに書くように言われ、書いてみたのだが、山崎先生曰く、「これをやるなら10年かかる」と言われてしまった。そりゃそうだろう。CADの可能性から当時まだ初歩的な研究段階だったVR(ヴァーチャル・リアリティー)のことまで書いたのだから。そこで、とりあえずCADに慣れることが必要だということで、日本DEC(ディジタル・イクイップメント・コーポレーション)のEWSでGDSという3次元CADシステムのオペレーティングのトレーニングをすることになった。まず最初は、前年の職業訓練大学校の卒業生が作成した3次元CADのトレーニングマニュアルの習得である。その時の素材は法隆寺講堂の3次元モデル作成である。
3ヶ月ほどそうしたトレーニングを行っただろうか、4年生になり、いよいよ論文作成にかからなければならなかったが、まだテーマが決まっていなかった。そこで山崎先生と議論しながら苦し紛れに決めたテーマが「3次元CADを用いた形態認識に関する試行実験」である。CADのトレーニングに並行して、マサチューセッツ工科大学(MIT)建築・都市計画学部の前学部長で、近年はMITメディア・ラボのスマート・シティ研究グループを率い、未来都市理論で世界の第一人者と目されていた、ウィリアム・J.ミッチェルの「建築の形態言語―デザイン・計算・認知について」を読んでおけと言われていたのが大きい。
ウィリアム・J.ミッチェルは、1970年代のカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)教授時代世界に先駆けて建築CADを推進、更にこの建築CADを経営意思決定システムなどと結びつけたファシリティマネジメントシステム(CAFMシステム)を世界に広める上でも大きい役割を果たしたことからCADの分野ではパイオニアである。「建築の形態言語―デザイン・計算・認知について」では、建物をどのようにして言語で表現するかという点について考え、そのような言語が、一階述語論理の述語計算の表記で形式的に書き下せる事を示す。それを手がかりに、形の言語表現の実験にCADを使って色々な形態を作成し、職業訓練大学校(現職業能力開発総合大学校)の建築学科の学生に実験とアンケートを実施して、それをまとめることにした。
研究の背景では、建築や都市のデザインを語る際、「形態文法」や「シェイプグラマー」と言った言葉が多く用いられるようになったこと、そして、こうした考え方の基礎となっているのは、建築も文章もメディアこそ異なれ同じ記号の一種であるという視点から、建築の構成原理も文章の構成原理になぞらえて理解してみようとする発想について述べた。建築形態は、それを構成している様々なエレメントの集合体であり、エレメントを集合させる際にはある一定の規則性が存在する。そして、その規則性こそ形態文法であり、形態文法は認知科学によってデザインを理論化可能な知的プロセスとして追求しようという態度を背景としている。「形態文法」の考え方は、建築デザインにおけるコンピュータ利用の課題、すなわち、「デザインに関する厳格にして筋の通った計算理論の完成」(ウィリアム・J.ミッチェル)に対して有力な手がかりを与える鍵と考えられる。
通常、建築設計の初期段階である建築形態のイメージ形成において、デザイナーは3次元形状を経験から得られた主観的な形態イメージに基づき、建築形態の構成を考え、図形の変形操作を行っている。しかし、そうした形態イメージは、あくまでも個人の主観に基づいた曖昧なイメージに過ぎず、必ずしも一般的な形態イメージと重なり合うとは限らない。そこで、一般にデザインプロセスにおいて曖昧にされている3次元形態が、実際、人々にどのように認識され、また、どのような感覚的イメージを与えているかを、実験心理学的手法によって分析した。
実験で用いた立体サンプルは2種類である。まずタイプ1は、2つの直方体を上下に結合させて出来た立体で、上部の直方体が下部の直方体に対して独立しているように見えるか、それとも従属して見えるか、どちらに近く感じられているかの程度を判定し、また、形態感覚の尺度としては、サンプル立体が安定しているように見えるか、それとも不安定に見えるかの安定度の尺度と、重く感じるか、軽く感じるかという重量感の尺度を設定した。
次に、タイプ2は、形態認識の尺度は、基準となる直方体から様々なプロポーションの直方体がL字型の板が立っているように見えるか、それとも直方体の角が削り取られているように見えるかを判定した。安定度と重量感はタイプ1と同様である。判定尺度は6段階である。
詳細な実験手順は省略するが、タイプ1を50パターン、タイプ2も50パターン、CADでモデリングし、それをスライド撮影して(いまなら画像保存で直接コンピュータからディスプレイに投影可能だが)、プロジェクターで投影して建築科の学生15人にアンケート調査を行った。その結果を表やグラフでサンプル立体の体積比や表面積比をもとに形態イメージを分析したのだが、結果から言えば、この実験で形態を明確に言語化することはできなかった。どうしても曖昧な部分が残り、そこはもう個人の主観の世界になってしまったのである。また、評定の尺度とした体積比や表面積比の関係もはっきりと数値で示すこともできなかった。
実験としては失敗である。ただ、次につながることとして、失敗の原因がどこにあるのか、何を改善したらもっと明確な実験結果が得られただろうかといった事項がまとめ切れず、そこが発表の際に突っ込まれることになった。研究の背景や目的、手順、分析方法までは良かったものの、結果が得られなければ研究はまとまらない。
この卒業論文の発表は夏休み明けの9月だったが、夏休み中、論文のまとめや梗概の作成で休みどころではなく、その理由も、私は論文だけ選択してゼミを取っていなかったので、論文が不合格の場合、卒業できない。その上、前期の設計製図第4の合格もなかなかもらえなかったので、何度も手直しして再提出を繰り返したほか、職業訓練大学校の山崎先生から大学院に誘われており、その大学院の試験が卒業論文の発表と重なっていたのである。論文と実技課題と大学院の試験が重なって、にっちもさっちもいかない状態で、通常、この時期は大学4年生は就職活動で忙しいのであるが、私の場合はそれどころではなく、なんとか設計製図第4と卒業論文は合格したものの、勉強不足がたたって大学院は落ちてしまい、研究者の道が閉ざされてしまった。

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