マニ・ラカン
2001年10月25日。今日もまたツェリン・ドルジェが昼前にやってきた。ちょっとでも自分の得になることなら頑張るようだ。昨日、私が描いてやった図面を見てさぞ嬉しかったのだろう。一度彼の手描きの図面を見せてもらったが、大学の建築科の学生のほうがまだましだろうと言う代物であった。CADの図面がたいそう気に入ったと見える。その調子でCADのオペレーティングも覚えてくれると私も救われるのだが・・・今日もCADの授業そっちのけでヤツのプロジェクトを手伝うことになった。昨日はアッセンブリー・ホールの平面図・立面図・断面図まで描いたあと、
「これでいいでしょ?」
と聞いたら、
「出来たらでいいんだけど、内部のレイアウトを考えて欲しいんだけど」
と頼まれた。またしても頼まれ事だ。そのために、インドに来て2度目の残業をする羽目になった。ちなみに一度目は中原さんに頼まれたデラドゥーンのミンドゥルリン僧院のチョルテン(仏塔)のモデリング・レンダリングをやったときである。
まさかインドに来てまで残業するとは思わなかった。日本で建築の設計の仕事をしていたときには残業なんて当たり前で、毎日終業は午前0時を回っていた。それを考えるとちょっとした残業なんて楽なものなのだが、インドに来てからすでに2ヶ月が過ぎようとしていた頃である。すっかりインドモードになってしまっていた私にとって残業は些か辛いものがある。それでもダラムサラの夜は静かで暇であった。雑誌の「旅行人」を毎日寝る前に読んでいたものだがそれにも飽きていた頃だ。ちょうどいい暇つぶしになるだろうと思って気軽に「いいよ」と答えた。
前夜にあれこれとCADで寸法をあてってテーブルや椅子のレイアウトを考えて作成した図面をツェリン・ドルジェに見せるとヤツは大喜びしていた。まあ、喜んでもらえれば私も嬉しいのだが・・・早くCADをマスターしてくれよ!!!
「いちおう一通り図面は揃ったことになるけど、どうするの?」
と聞くと、
「実はもう一つ頼みがあって・・・マニ・ラカンなんだが・・・」
と言うではないか。マニ・ラカン???あのマニ車を納めたお堂か?
マニ車とマニ・ラカンについて少しばかり説明しよう。インターネットで「マニ車」と検索すると37500件ヒットする。いちばん分かりやすいのはやはりダライラマ事務所の解説だろう。
http://www.tibethouse.jp/culture/mani.html
マニ車には、真言を唱えながら手で回すものが代表的である。チベット本土に行くとジョカン(ラサ・トゥルナン・ツクラカン)を一周する巡礼路、バルコルをマニ車を回しながら周っている巡礼者(高齢者が多いが、中にはカンパのように信心深い若者もいる)をよく見かける。手で回す小型のマニ車は「マニ・ラコー」と呼ばれる。チベットの老人(最近のチベット人の若者は段々漢化されているのだろうか?あまり見かけない)たちは時間が許す限り、この「マニ・ラコー」を回す習慣がある。チベットの僧院に行けばいろいろな種類のマニ車があるが、中でも画期的なアイデアだと思われるのは、灯明の熱で回る紙製のマニ車だ。大きさはそれほどでもないが、灯明の上昇気流の力で回るようになっており、これだと灯明が切れるまで回り続ける。私はセラだったかデプンだったか忘れてしまったが、実際にそれを目にした。また、僧院の中のお堂にあるマニ車は、「マニ・ラカン」といい、高さ2~3メートル、直径3~4メートルの大きなものまである。有名なのはジョカンの門前にあるものだが、ダラムサラにも1ヶ所(それ以上あったかもしれないが・・・)マニ・ラカンがあった。場所はバス・ターミナルの近く、Jogibara Roadと Temple Roadに挟まれたところにある。
マニ車に巻かれている経文は様々であるが、大多数は真言「オムマニペメフム(観音の真言=蓮華の上に宝珠あれ)」である。「オムマニペメフム」を解説しようとすると428ページの大部の本になるのでここでは割愛しよう。興味のある方はラマ・アナガルカ・ゴヴィンダの「チベット密教の真理」という難しい本を参照されたい。マニ車の中には「オムマニペメフム」をはじめとする真言や経典が何千回、何万回と繰り返し書かれており、その分量はマニ車の大きさによって異なっている。当然マニ・ラカンの中のマニ車の中の経典、或いは真言は膨大なものになる。マニ車の中には「オムマニペメフム」の他、ウッディヤーナからチベットに密教を伝えたパドマサンババ(蓮華生)やジャムペーヤン(文殊菩薩)、ドルマ(ターラー菩薩)などの真言もみられる。心身込めてマニ車を回せば、回した分量の真言を唱えたことと同じ功徳があると言われているが、信仰心の薄い日本人には「???」だろう。
マニ・ラカンのデザインがよく分からなかったので、
「ディテールが分からないんだけどどうすればいいの?」
と言うと、ツェリン・ドルジェは、
「これから見に行こう」
と意気込んで言った。
「え???何を?」
「マニ・ラカンだよ」
さっさと出かける用意をしているツェリン・ドルジェを横目に私は、「実測か・・・」としみじみ思ったものである。建物の実測は補償コンサルティングでよくやったが、私はあまりいい思い出はない。会社の中で教えてくれる人もなく独りで格闘した経験があったからである。あれをもう一度やる元気はない。やるなら死ぬほうがましだ。
だが、いざマニ・ラカンに行ってみるとツェリン・ドルジェは実測するどころかただじっと見ているだけであった。あれ???
「ちゃんと実測しなくてもいいの?」
と聞くと、
「いいんだ。いいんだ」
というではないか。本当にいいのか?
マニ・ラカンを見た後、一軒の食堂に入ってトゥクパとモモを食べた。もちろんヤツの奢りである。と言っても2つで50ルピー(150円)だが・・・この後、ツェリン・ドルジェが仕事の手伝いを頼みに来たときには、この昼食の接待攻勢が待っていた。プレゼンテーションが上手くいったらその100倍のペイを手にすることが出来るのだからヤツにとっては安くつくのだろう。しきりに「どんどん食え」と言っていた。
9-10-3に帰ってくると、早速マニ・ラカンの平面図に取り掛かった。マニ車を真ん中に描き、床は1フィート四方のタイル貼りにした。ワイヤーフレームではなく、色を付けるとなんだか曼荼羅のように見える。細かく寸法を入れ、平面図を完成させると、今度は立面図だ。ただ、今回のマニ・ラカンは前のアッセンブリー・ホールの時のように単純に平面図を参照させて描くだけではすまなかった。虹梁(こうりょう)のディテールを描かなければならなかったのである。チベット特有のデザインの見本も無いし、マクロードのマニ・ラカンの虹梁(こうりょう)を実測したわけではないのでどうやって描いたらいいのか分からなかったのでツェリン・ドルジェにそのことを告げると、
「適当でいいよ」
まったくこいつはいい加減なヤツだ。