診察時のルーティーンと京都の花街
昨日は精神科の診察日だったのだが、病院も以前とは変わってしまった。以前は大阪警察病院の精神科という総合病院の中の精神科に通院していたのだが、病院の再編成みたいなもので精神科の先生が辞めてしまって代わりがいないということで、代わりのクリニックを紹介された。いくつかの候補が上がった中で、私が選んだのはあべのハルカスの22階にある「みなともクリニック」である。そこを選んだ理由は、ただ単にハルカスの高層階にあるというだけ。通院という理由で月に一回はハルカスに通える。また、通院の仕方も変わってしまった。それまでは一人で自転車で通院していたのだが、クリニックに変わってからは私と、腐れ縁のYと上の階の僕ちゃんの3人で一緒に通院することになった。
診察が終わると、天王寺というので、Yと僕ちゃんはキューズモールでお買い物である。私は買い物には興味がないのでいつも地下1階のフードコートでお茶飲みながらトンカツを食べたり、はなまるうどんのかけうどんの中に天かすを大量に投入して食べながら本を読みながら買い物が終わるのを待つのが月に一回の恒例となった。読んでいたのは堀敏一著「東アジア世界の歴史」であった。半分くらい読んでいたのを、待ってるあいだにほとんど読みきる寸前まで読んでしまった。
ようやくYの買い物が終わり、Yが「これ美味しんや」と言ったチュウハイを飲むと、アルコール度数が7%あるせいか、ほんのり酔ってしまった。帰りの電車の中で飲むためにもう一本買っておく。チュウハイ1本で酔ってしまうとは弱くなったものだ。さらに電車の中でもう1本飲み干した。帰ってきたのは22時半ころだろうか?家に帰るなり朝のうちに買っておいた赤ワインの「SIEMPRE」を飲むと、いつの間にか寝てしまった。
何度か夢を見て、また寝て、夢を見てを繰り返して、起きたのが6時半ころだろうか?お腹がすいたのでそうめんを食べているとYから電話があった。Yは帰ってきてから近所のスナックのママにブレスレットを渡すと言って別れたあと、またそこで飲んで、さらに近所のコインランドリーで飲んでいるとのこと。お酒奢ってやるから今から来いというので行くことにする。「お酒」、「奢ってやる」と言うキーワードに私は弱い。やっぱりシブちんの酒飲みである。
自転車で行ってみるとYはコインランドリーの中で椅子に座ってスマホで映画を見ながら昨日と同じチュウハイのロング缶を飲んでいた。飲み終わっていたので、私の分と2本買ってきて、話しながら飲んでいると、コインランドリーのオーナーらしき人物がやってきて追い出された。近所のローソンの表で飲み直し、モーニングを食べに行こうというのだが、私はすでにそうめんを食べている。もう食べられないので、赤ワインの「MICHAY」を買うお金をもらって買って帰った。
最近、YouTubeで京都の花街の動画や京都在住の台湾人の投稿する動画にはまっている。
花街に関しては、YouTubeで「京のおんなたち」検索した時に見つかった「祇園的女人們 京都花街物語~ 富美代茶屋·8代目女將」は2回も見てしまった。富美代は、文化年間(1804~18)に創業されたと言われている老舗のお茶屋さんである。京都には五花街(祇園甲部・先斗町・上七軒・ 祇園東・宮川町)があり、富美代は祇園甲部だ。お茶屋さんで舞妓さん、芸妓さんを呼んでお座敷を体験しようと思っても、いくらお金を積んでも不可能で、それなりの人の紹介がないと入れない。それだけにミステリアスな存在で、興味がそそる。また、「16歳 舞妓さん誕生 ドキュメント」を見ると、舞妓さんになるためには中学を卒業してすぐに置屋に住み込んで半年から2年ほどの「仕込み」期間を経た後、1か月間「見習い」として、だらりの帯の半分の長さの「半だらり」の帯を締め、姐さん芸妓と共に修行する。置屋の女将、茶屋組合よりの許しが出れば、晴れて舞妓として「見世出し」が可能となる。舞妓になるきっかけは修学旅行などで実際に本物を見て、置屋を探して手紙を出し、入門ということが一般的だが、最近ではインターネットを通して舞妓志望者を募る置屋もある。最近はブームのせいもあってか、舞妓志望者は増える一方である。にもかかわらず、昔気質のつらい修行に耐え切れず辞めてしまう場合が多い。
明日は朝から京都に行くというので、ちゃんと寝ようと思って薬を飲んで、タブレットで動画を見ながら「MICHAY」を飲んでいるといつの間にか寝てしまっていた。一度、夜の21時半頃起きたのだが、まだワインの大半が残っていて、本を読みながら残りを飲んでいるとまたウトウトしてしまった。パソコンが置いてあるテーブルを見てみると、キムチ茶漬けを食べた形跡が残っていて、たぶん、ブラックアウトした時に食べたのだろう。観葉植物のオーロラの葉っぱが一枚折れていた。