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10-2.資金調達

研究者アイスルン・エンゲルハルトによれば、遠征隊はアーネンエルベによって資金を提供されていなかった。エルンスト・シェーファーは自分で資金を調達した。そのうちの80%は広報とドイツ工業広告協議会と同様にドイツの大企業、ドイツ研究協会、及びアメリカの冒険家で博物学者のブルック・ドーラン2世からの資金提供だった。ブルック・ドーラン2世の父はフィラデルフィアの裕福なアメリカ人実業家のブルック・ドーランである。ブルック・ドーラン2世は、1931年、1934年、1935年に中国と東チベットに探検に行っている。その時の隊員の中にエルンスト・シェーファーがいたのである。
ヒムラーの友人の輪は、ドイツに戻って唯一の後援を行った。米軍によると、遠征隊の資金は、様々な公共および民間の提供者によって提供され、ドイツへ帰ってからSSによって支払われた。遠征隊の装備の費用はRM65,000で、遠征自体は、SSによって帰国時に要した融資された費用除く、他のRM65,000を要した。(RM=ライヒスマルク、1924年から1948年6月20日まで使用されたドイツの公式通貨。ライヒスマルクは西ドイツでドイツマルク、東ドイツでは東ドイツマルク(あるいはオストマルク)に切り替えられた)。その詳細は次のとおりである。
・広告規制当局の原告と広告主間の紛争のように解決するために設立されたドイツ広告業中央協会 - RM40,000
・チベット探検家のフィルヒナーを介して第二次世界大戦前のドイツ化学産業を独占したトラストであるイーゲー・ファルベンインドゥストリー - RM35,000
・1926年から1945年にミュンヘンでナチスが発行したプロパガンダ雑誌で、ヨーゼフ・ゲッベルスが創刊した「デア・アングリフ」紙と国家社会主義運動の戦闘紙「フェルキッシャー・ベオバハター」。後に遠征隊のスポンサーを主張した - RM40,000
・帝国リサーチサービス(RFD) - RM6,000
・ドイツ研究協会(DFG) - RM10,000
・ニーダーザクセン州のペイネにある製鉄所イルゼデア・ヒュッテ社社長のヘッカー - RM2,000
・もともとチェコスロバキアの会社だったハールブルクのフェニックス・ゴム・ワークス(シェーファーの父親が所有している工場) - RM 3,000
・フィラデルフィア自然科学アカデミー - $1,000
・いくつかの小さな企業や団体からの様々な額。

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