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インディア、シャンテ・ムーア、中島らも

起きたのは朝6時過ぎだった。とりあえず、インディアの「Sobre El Fuego」を聴きながら大阪の再開発関連のニュースをチェックするが、目新しいニュースは見つからなかった。
インディアは、今や押しも押されぬサルサの女王であり、アメリカのヒスパニック女性の間ではロールモデル的存在として尊敬を集めているディーヴァである。もともとは、80年代後半のラテン・ヒップ・ホップ/フリースタイル・ブームに乗ってシーンに躍り出た女性歌手だったが、90年代ニューヨークのラテン・コミュニティにおける若い世代のルーツ回帰の気運、そして夫だったリトル・ルイ・ヴェガの影響もあって、いち早くサルサへの転向を図った。
しかし、私が初めてインディアを知ったのはハウスのディーヴァとしてである。96年に離婚したリトル・ルイ・ヴェガとのプロジェクトにも積極的に参加し、Nuyorican Soul名義でリリースしたThe Salsoul Orchestra(サルソウル・オーケストラ)& Loleatta Holloway(ロレッタ・ハロウェイ)の名曲「Run Away」をカバーでもリード・ボーカルを担当。ここ日本でもクラブを中心に爆発的な大ヒットとなった。

https://www.youtube.com/watch?v=KGxoWHpMPbQ

その他にも、インディアの圧倒的な声量をフルに活かしたハウスの名曲で、PVにはヴォーギングの生みの親にしてマルコム・マクラーレン「Deep In Vogue」への出演やマドンナ「Vogue」の振付で知られる、Willi Ninja(ウィリー・ニンジャ)が出演した「I Can’t Get No Sleep」や、River Ocean feat. India名義の「Love & Happiness (Yemeya Y Ochun)」、リトル・ルイ・ヴェガのパーティーに踊りに行った時に3回もプレイした「To Be In Love」という名曲もある。「To Be In Love」は最初、サルサ歌手としてのインディアのヒット曲リミックス集「INDIA featuring MASTERS AT WORK / ニューヨリカン・リプロジェクト」に収録されていたのだが、あまりにも良かったのでアナログレコードも買ってしまった。


さて、「Sobre El Fuego」であるが、ビルボードのラテン・アルバム・チャートで4位を記録。全体的にカバー作品が多いのも特徴で、アルバムタイトルはチャカ・カーンの「スルー・ザ・ファイア」のカバーである。

今日は10時半から城東区民センターで日本共産党の演説会があって、9時に自転車で向かって受付まではしたのだが、会場で座っていると落ち着きがなくなり、なんだかそわそわしたので、演説が始まる前に会場をあとにした。
家に帰る途中、業務スーパーで買い物し、ガストでランチを食べて、ランチについてる日替わりのスープを飲みながら読書しようと思ったのだが、ここでもまた落ち着かなくなった。
帰宅して、インディアの「Dicen Que Soy」を聴きながら風俗嬢とチャットする。「Dicen Que Soy」は、90年代のサルサ界を代表するクリエイター、セルジオ・ジョージがプロデュースを手掛けたストリート感覚溢れる新世代のサルサ・サウンドを展開するセカンド・アルバムで、歌謡サルサの伝統を踏襲したメロディアスで美しい楽曲とキレの良い新鮮なサルサ・サウンドが見事に溶け合った作品である。

風俗嬢とのチャットは、「見えチャットTV」というサービスで、「見えチャットTV」という名前からチャットサイトと思いがちだが、風俗情報のポータルサイトに近いサービスである。デリヘル・ホテヘルの風俗嬢がお店の宣伝のためにギャラなしで配信している。主に風俗店からの広告収入で運営されているので、チャットの利用や視聴には一切費用は発生しない。最大の売りはライブチャットだが、あくまで宣伝がメインなので、プロのチャットレディのように必ずしも楽しませてくれるとは限らない。
その後、中島らもの「人体模型の夜」を読んでいて、途中でお風呂に入りたくなったので、湯船に浸かりながら読んでいたら読み終わってしまった。
「人体模型の夜」は、廃屋の地下で奇妙な人体模型を見つけた少年のプロローグに、体の一部分をモチーフにしたいかにもな幽霊譚から極めて現実的な日常の恐怖、トンデモ幻想譚までバラエティに富む怖さを味わえるホラーオムニバスである。楽園が一転して地獄と化す「セルフィネの血」、ひねった設定が活きている「耳飢え」、理屈っぽいヘンなはなし「ピラミッドのヘソ」など、掌編12個が蔵められている。共通するのは、一般的な基準から微妙に逸脱した人々が語り手・或は話しの中心になること。
「恐怖と笑いは紙一重だと言われる」と誰かのブログに書いてあった。何か恐ろしいことにも笑ってしまったり、ホラー映画でも恐怖というよりは寧ろ笑わせにきてると思うこともある。中島らももホラー映画が大好きで、一日1本はホラー映画を見たという。
ちなみに、「人体模型の夜」は、リリパット・アーミーによって劇化され、1991年6月に上演されている。この時のキャストは、中島らも、わかぎえふ、桂吉朝、桂九雀、蟷螂襲、世弥きく代、福井玲子、前田一知、牧野エミ(売名行為)、旭堂南左衛門、田口敬(劇団東京乾電池)、升毅(売名行為)だ。
「人体模型の夜」を読み終わったので、シャンテ・ムーアのCDを聴きながら同じく中島らもの「白いメリーさん」を読む。
シャンテ・ムーアは、幼い頃からゴスペルの他は一切聴くことを許されない厳格な家庭で育ち、13才から17才の間はサ ンディエゴでモデルとして活躍。次第に作曲に目覚め、デモ・テープを作るようになり、LAでミュージカルに出演した時、丁度これを見に来ていたエル・デ バージと知り合う。これがきっかけとなり彼の『イン・ザ・ストーム』の「ユー・ノウ・ホワット・アイ・ライク」にコーラスとして参加。幸運な事にエル・デ バージのマネージャーから彼女のテープがルイル・サイラスJr.の手に渡り、彼がMCA傘下に立ち上げたサイラス・レーベルの第1号アーティストとして 華々しいデビューを飾る。
まずは94年に発表したセカンドアルバムの「ア・ラヴ・スプリーム」。このアルバムからは「フリー/セール・オ ン」、「ディス・タイム」、「オールド・スクール・ラヴィン」がヒットする。「ディス・タイム」に関しては、このオリジナルよりもFrankie Knuckles Bomb Mixの美メロのハウスリミックスが好きで、大阪のマンハッタンレコードかダンスミュージックレコードで12インチシングルを買って、今では私のレコードコレクションの中で1番のフェイヴァリットになっている。

モデル出身の美しいルックスとセンスの良いセクシーなヴォーカルの虜になって、元々はR&Bの人だとはわかっていながらもCDを集めるようになった。ちなみに、私はR&Bも好きである。
さて、「白いメリーさん」の方であるが、怖すぎて、おもしろすぎる9編を集めた珠玉の短編集で、なかでも私が一番好きなのは、誰を殺してもいいという年に一度の「日の出通り商店街 いきいきデー」だ。中華料理店主は階から天ぷら油を撒いている。老医師は手術用のメスを手裏剣のように投げてくるし、注射針の先から塩酸を飛ばしてくるので、中華鍋で受け、返す中華鍋で老先生の頸動脈をぶった切る、などという話。そのほか、父との3人暮らしの姉妹の女の子が良い年頃になると蛇に変身してしまい、秩父の山には逃げ込むことなく前向きに体中に広がってきた鱗を武器にヘビメタグループを結成し、大人気となる「クロウリング・キング・スネイク」。夜中にジョギングしていると、夜中に店を開けている荒物屋があり、変だと思っていると、そこの主人はシンナー中毒で少年好き、シンナーでラリってホームレスをやっつけていい気になっている少年たちを自分の家にあげて、売り物のシンナーやトルエンを与えて自分の餌食にしている。そんな奴を許せない「夜走る人」など、らもワールド全開である。

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