JW_CAD
目が覚めてみたら午前1時だった。とりあえず残っていた「SUPER PRIME 糖質50%オフ」を飲み干してみる。新聞配達の仕事に行くにはまだ3時間ある。問題はその時間をいかに有効に使うかだ。私の場合はCADのオペレーティングのHOW TO本を頼りにJW_CADの操作の復習をやってみた。JW_CADは2次元汎用CADアプリケーションソフトウェアで、DOS版とWindows版がある。しかし今はDOS版はほとんど使われていない。開発初期はドラフター・製図板の延長としての汎用CADを目指していたが、多くのユーザーの意見を取り入れて原型ができあがった。その後、NIFTY-Serveの建築フォーラム (FARCHI) で公開された。現役の建築士が開発に参加していること、フリーウェアであることと、ワンキー操作で画面表示を切替えることができるなど、当時の他のCADアプリケーションソフトウェアにはみられない軽快な操作性が多くの設計者に受け入れられ、建築設計を中心に広く普及した。
大学卒業後、設計の仕事ではいつもCADを使っていたので、多少のブランクがあっても難なくクリア出来るだろうとタカをくくっていたのだが、木造の平面詳細図の各種の収まりなど考慮していたらなかなか練習課題が進まなかった。別に酒に酔っていたわけではない。私が会社員時代使っていたのはMS-DOS版のJW_CADである。しかし今はWindowsだ。機能もほとんどか変わっている。
「SUPER PRIME 糖質50%オフ」を2本チビチビやりながらCADの練習をやっているとあっという間に仕事の時間が来てしまった。図面はなかなか進んでいない。
気を取り直して仕事に行く。30分もあれば終わってしまう仕事なので、サラリーマン時代のようなストレスと過労はかからない。楽な仕事だ。
仕事帰りにはいつも近所のミニストップに行って「バーリアル(BARREAL)糖質50%オフ」500ml2本とタバコを1箱買って帰った。それを飲みながら「チベットの核」という本を読んだ。
中国の北西核兵器研究設計学会は、「第9研究所」、または「211工場」としてその名を知られ、60年代の初頭に中国核製造機関の第九局により、中国の初期の核爆弾設計を目的に設立された。この「第9研究所」は、中国でも最高機密の核都市で、西寧から西へ100kmほどの海北チベット自治州に位置している。緯36.57度、東経101.55度、海抜3030メートルに位置し、ココノール湖の東から約16キロメートル離れた分水嶺にあるため、その排出液はツァン・チュ川へと注がれる。この支流はやがて黄河に合流する。70年代後半には、「第9学会」による化学工業研究所がさらに設立され、高濃度ウラニウム燃料の再処理実験が実施されるようになった。
それはともかく、帰ってきてすぐにいつものロヒプノール2mg2錠、コントミン50mg2錠、ロドピン50mg1錠、ピレチア25mg1錠、センノシド12mg10錠、パキシル20mg2錠、セルシン2mg2錠、メトリジン2mg2錠、セルテクと30mg2錠、アナフラニール10mg2錠、グランダキシン50mg2錠、セルベックス50mg3錠をビールで流し込んでいたので、まもなく寝てしまった。
起きたのは11時半だった。普段なら寝起きの1杯といきたいところだが、今日は歯科の治療がある。アルコール臭い息をしていたのではやっぱり恥ずかしいものだ。
「飲酒欲求が出てきたら何かを食べろ」はアルコール病棟の医師や看護師たちの言い草だが当たっている。その時には飲酒欲求はなかったのだが、軽く食べておこうと思ってインスタントラーメンを2袋食べた。歯医者の方も酒臭い患者は嫌だろう。治療がおると、早速、「SAKE市場グランマルシェ」に立ち寄って「SUPER PRIME 糖質50%オフ」500mlを2本と2Lの烏龍茶を買って帰った。合計456円。安い。
そのうちの1本でWEBをやりながら飲んでいたら、今里のスタンディング居酒屋「Ms」の開店時間になった。速攻で行く。客の入りはまあまあだ。早速、麦焼酎のロックを注文する。酒の肴は豚キムチ。ロック3杯で3時間は持たせる自信がある。昔のジャズ喫茶の要領だ。今日はこれといった知人も来ていなかったので良い加減に切り上げて帰って仮眠しようと思った。BGMはHOUSEである。
HOUSEは元々1977年にアメリカ合衆国シカゴで誕生した音楽ジャンルの1つである。ディスコとディスコとフィリー・ソウルの影響が強い音楽である。シカゴのゲイ・ディスコ「ウェアハウス」が発祥とされている。ハウスは、ディスコやフィリー・ソウルのサウンドに、ラテン音楽のリズムを融合することにより誕生した。特徴としては、極めて短い同じ音、同じメロディーラインを何度も何度も繰り返す小節が、曲の随所に見られ、聴く者に陶酔感を与えることにある。また殆どがアップテンポなリズムで、BPMにしておよそ120前後のテンポをとる。90年代初頭にはダウンテンポの、さらに90年代中頃にはアップテンポなハウスミュージックも誕生し、ダンスミュージックの一形態に止まらない広がりを見せている。同じメロディーラインの繰り返しは人をトリップさせるドラッグである。
ところが帰ってもそんなに眠れるようなものではない。ちょっとうとうとしていたら22時になって、まだ仕事までにかなり時間が空いてしまう。そこで、今日2回目の「Ms」である。いつもなら麦焼酎のロックで、注文しないでもそれが出てくるのだが、1杯目だけはそれにして、2杯目はチューハイプレーン、3杯目はトマトチューハイを飲んだ。
普段はチューハイなんて酒じゃなく子供の飲み物程度にしか思ってなかったのだが、喉が渇いているときはチューハイかビールに限ると思ったものである。しかし、チューハイというのはなかなか酔える酒ではない。酔えない代物は私にとっては酒ではない。仕方がないので帰宅してからは寝ないでこの日記を書く事にした。集中して、尚且ついろんな資料を見ながら書いたので時間の感覚はない。あっという間に日付が変わってしまった。