デリーへ
2001年11月24日。バスに乗り込むと大勢のチベット人(デリーに出稼ぎに行くのだろう)やもう帰る外国人旅行者でいっぱいだった。チケットを見ながら自分の席を確保すると、大きい荷物は床に置き、パソコンが入ったリュックは膝の上において寝る体制に入った。眠るといってもダラムサラの薬局で20ルピーで買った睡眠薬(後で知ったのだがそれは軽い安定剤であった)を飲んで窓辺に浮かぶツェリン・ドルジェの顔をボーット見ていただけである。そのうちバスは満員になり出発することになったのだが、隣のシートに座ったのは結構綺麗なチベット人(後で日本人だと分かった)であった。欧米人と別れのハグをしていた。これはラッキーな展開である。そう思うと心はルンルンである。
私の荷物に引っかかって靴が脱げてどこかに潜り込んだ様子で。一緒に探してやったら、
「イナフ!!!イナフ!!!」
と英語で答えが返ってきた。やっぱりチベット人なのだろう。
動き出したバスは慎重にダウンダラムサラへと向かっていた、アッパーダラムサラ=マクロードガンジとダウンダラムサラを結ぶ道路は整備などされていない田舎道である。あちこちで舗装がはげており、急カーブの連続である。ダラムサラに始めてきたときは途中で道路が崖崩れて崩壊しており、やむなくタクシーを拾った経験がある。そのため、寝ようと思うがバスが心配でウトウトもできない。
ようやくダウンダラムサラについた頃には一安心した。ここから先はもう少しいけばハイウェーである。ハイウェーといってもたまに牛が横切ることはあるが・・・
途中何度かトイレ休憩があり、その都度バスは止まるのだが、夜間にも関わらすバスの回りには大勢のインド人の子供がやってきて、何かを売りにやってくる。窓ガラスを開け放してタバコを吸っていると、その中の一人が、
「ジャパニ!!!ジャパニ!!!」
というから
「そうだ、俺は日本人だ」
と答えてやった。その光景を見ていた先のチベット人(日本人)女性は興味深そうにこちらをチラチラと窺っていたが、バスに戻ってくると、
「もしかして日本人の方ですが?」
と聞いてきた。チベット人が流暢な日本語を話すとは思えない。もしかして彼女も日本人なのか?チベット人と日本人は外見上あまり変わらない。
「はい、そうです」
「どちらから来られたんですか?」
「横浜です」
すると、
「え~~~私も横浜から来たんですよ。ちなみに何区ですか?」
「青葉区です」
「私、都筑区なんですよ」
そうなると私のほうも「え~~~~~~~~~~~~~~~」である。
「電車の駅で言えばどこですか?」
「市営地下鉄の中川です」
「私は市ヶ尾。ご近所さんじゃないですか!!!」
東急田園都市線のあざみ野と言う駅から市営地下鉄に乗って一駅目が中川である。私の住んでいた市ヶ尾はあざみ野から東急で2駅目である。
「市ヶ尾はよく行くんですか?」
「またに買い物に」
「市ヶ尾の駅前に成城石井って言う高級スーパーがあるでしょ」
「ハイハイ」
「あそこの4階に住んでいるんですよ」
そこでまたしても「え~~~~~~~~~~~」
「こんなインドの僻地で横浜市民がそろってバスに乗っていてしかも隣のシートだなんて奇跡的なことじゃないですか。それにご近所さんですよ」
そういえばそうである。ダラムサラでは意識的に避けていた日本人社会であるが、ここに来て親近感がわーーーット襲ってきた。
「インドはどこに行きました?」
「キナールとかキナールカイラスを見て最後にダラムサラに来ました」
「私はね、チベット人にCADを教えないといけなかったのでダラムサラから一歩も出てないんですよ。その上ダウン・ダラムサラにも行ったことがない」
それから先のことはよく覚えていない。おそらく薬が効いてきたのだろう。
バスは10時間以上かかってデリーに到着した。航空券は11月27日。あと2日デリーで暇をつぶさなくてはならない。最初にバスが立ち寄ったのはデリーで最初に泊まったマジュヌカティラだったが、この際デリーのメインバザールで宿を探そうとしていた私はコンノート・プレイスまで乗っていくことにした。メインバザールのパハール・ガンジに行けば安宿が集まっていて。3日間だけの滞在には都合がよい、その頃旅行が意志に載っていた安宿は代表的なものでUPHAR Guest Houseだ。シングルで40ルピー。思いっきり安い。その代わりバス・トイレは共同である。当初はそこへ行こうと考えていた。
デリーの中心、コンノート・プレイスに着いたのは早朝の7時頃だったろうか?バスを降りると早速オートリキシャーのオヤジが声をかけてきた。
「どこまで行くんだい?」
「ニューデリー駅」
「150ルピーで乗せていってやるよ」
デリー中心部の地理には詳しくはないが、オヤジが相当ふっかけていることだけは分かったので断った。しかしデリーは広い。そこに歩いていけばニューデリー駅に着くのだろう。重たい荷物を背負って適当に歩いていると、さっきのオートリキシャーのオヤジがまたしても声をかけてきた。
「ニューデリーステーションはこっちじゃないよ」
「それはなんとなく分かるのだが、適当に歩いていくよ」
そういうとオヤジは諦めたのか向こうに去っていった。
150ルピーは日本円で450円である。タクシーに乗ることを考えれば安いがここはインドである。日本人はカモにされる。
しばらく重たい荷物を抱えていた私はどこへ行ったらいいのかさっぱり分からない。近所にたむろしていたサイクルリキシャーの3人組に道を聞いてみた。
「ニューデリーステーションに行きたいんだが・・・」
「それなら俺が乗せていって行ってやるよ」
「いくら?」
「40ルピー(120円である)」
先ほどのオートリキシャーの1/3である。しかしそれでも若干高いと思った私は、
「20ルピーなら乗ってやるよ」
「OK」
商談成立である。サイクルリキシャーの後ろにふんぞり返っていたら、さっきのオートリキシャーのオヤジが隣を走行してなにやらわめいている。「そんなことは無視して無事ニューデリー駅に」たどり着いた。目の前はメインバザール(パハールガンジ)である。