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15.4回目の入院

この病院はもう入院3回目である。勝手知ってしまっているので緊張感はまるでない。また来てしまったのかという無念さだけを感じていた。とりあえず、何も食べられないので点滴と、これからの人生を考え直すための休息がほしかった。
お馴染の個室で横になっていると、顔見知りの看護師たちが私を見舞いに来た。しかし、婦長だけは違った。私に対して、AAの祈りを言い聞かせるように説教を始めたのである。ちなみにAAの祈りは次のようなものである。
「神様 私(たち)にお与えください。
自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを!
変えられるものは変えてゆく勇気を!
そして、二つのものを見わける賢さを!」
婦長は頭でっかちな私を明らかに嫌っている。そのことは強く印象に残った。病院自体が私を煙たがっているようだった。また、私はその頃キリスト教アレルギーにかかっており、神様だけは受け入れられなかった。青春時代の3年間をカトリックの学校で過しても、ジーザス・クライストだけは受け入れられない。むしろ明治時代の、後に中央公論の前身となる機関誌「反省会雑誌」で唱えていた「禁酒禁煙明治十九年六月以来」の方が個人的には好きである。
「小さな祈り」の原作者は、アメリカの神学者、ラインホールド・ニーバー(1892-1971)、というのが現在の定説らしい。1943年の夏、マサチューセッツ州西部の山村の小さな教会でのお説教がもとになっているそうだ。しかし、AAをはじめ、いろんな場所で、いろんな形で引用されたために、作者については、長く論争の的になってきた。ニーバー自身、そのことばが、誰にどんなふうに引用され、言い換えられてもかまわない、という姿勢だったらしい。
初日の夜はお約束通り一睡も出来なかった。しかし、今回は午後8時半に飲んだベンザリン以外追加の睡眠薬は出してくれなかった。前回入院した時は、色んな薬を試してみて、最期は当直の医師に麻酔に似た静脈注射をしてもいらってようやく寝たものだが、今回はそういう追加の薬は渡してくれなかった。私がこの病院へ運ばれてきた理由を皆知っていたからだろう。一晩中、壁と天井を眺めながら横になっていると、隣の病室から恐怖に慄くような唸り声がしてきた。おそらく幻覚を見ているのだ。しばらくして2人の看護師がその病室に入って何か処置をしていたので、手足拘束されたのかもしれない。それでも隣からガタガタ言う音や壁にぶつかる鈍い音が聞こえた。
夜が白々と明けてきた頃、ようやくウトウトすることができたが、また新しい一日が始まった。朝食はパンが食べられないのでお粥だった。体は少し動かすことが出来るのだが、まだかなりふらついている。身体疾患の検査に行く時は車椅子で検査室まで連れて行かれた。特別サービスだ。
一通りの検査が済んで、ナースステーションでタバコを吸っていると隣室のオヤジがやってきて自分もタバコを吸いながら私に話しかけてきた。
「いや~~~昨日は強烈な幻覚を見てね~。幽霊みたいなやつが俺に襲いかかってくるんだよ。」
「どんな幽霊ですか?」
「なんだか黒い奴がおれを殺そうとするんだ。黒~いような影が見えてよ~~~」
統合失調症では「ないものが聞こえる」という幻聴が主だが、アルコール離脱性幻覚では、「ないものが見える」という幻視が多い。他の精神障害であれば幻視や幻聴は被害的で恐怖感を伴うものが多いが、アルコール離脱性幻覚は意識レベルの低下によって起こるため、時には楽しい内容のものがあったりする。チャンバラをやっているとか、部屋の隅から小さな大名行列が出てくる、というようなものもある。よく言われるのは、体中に小さな虫が這っていて、取っていても取っていても切りがないという虫取り運動というやつだ。
アル中で入院36回の史上最多記録を達成した日本一のアル中男で「アル中地獄 アルコール依存症の不思議なデフォルメ世界」の著書である邦山照彦氏は壮絶な幻覚体験をしたしそうだ。頭蓋骨が破裂し、その破片を病室のみんなが探したらしい。
病棟には喫煙室があるのだが、入院当初の患者は入れない。だからこんな話をしながら2人してナースステーションでタバコを吸っていると、顔なじみの患者が次々に様子を見に来て、私にこう言った。
「また来たのか?」
もう入院してどれくらいなるだろう?古参の患者からは親しみが伝わってきたが、病棟全体はかなり規則が厳しくなり、規則だらけの病院になってしまっていた。こうしてまたしても100日近い入院が始まった。ただ、救いは、このアルコール病棟が開放病棟だったことである。後日、大部屋に移ってからは自由に売店に行って自由行動で買い物することができた。その点、大阪に帰ってきてから入院した久米田病院の閉鎖病棟は辛かった。
今回も無事に個室から1号室に移り、ARPが始まると。担当の看護師が付いた。その看護師からは四六時中見張られているような気がしていた。かと、思うと私に親密に接触してきたりする。一応既婚者だが私と関係を持とうとしていたのか、よくわからない。
ARPには室外作業があって病院の畑作業や広場の草刈りがあり、その時は作業服を着るようになっている。しかし、在庫の作業服には私に合うサイズがなかった。そのため作業ズボンのベルトが必要になったのだが、その担当の看護師は毎回ベルトを返せという。おそらくそれで私が首をくくるのを恐れていたのだろう。
毎週金曜日の午後からの室内作業が始まると、私は早速ワープロで酒歴を書き始めた。面倒くさいことは早く切り上げるに決まっている。その上、前半部分の経緯は既に2度書いているので、ワープロ作業はルーティンワークだった。しかし、頭の中はそれどころじゃない。あと90日の入院生活で今後の身の振り方を考えなければならなかった。それを決定しないことには病院から出られない。
この入院時、シアナマイドが体に合わなくなって、飲むとすぐに嘔吐し、洗面室に駆け込むことになった。それ以来、シアナマイドは服用していない。シアナマイドのおもな副作用は、吐き気や頭痛、倦怠感、不眠などがあげられる。私はこのうちの吐き気に襲われたのである。しかももっとひどくなると重い皮膚症、高熱、ひどい発疹・発赤、唇や口内のただれ、のどが痛い、水ぶくれ、皮がむける、強い痛み、目の充血、重い血液成分の異常、発熱、喉の痛み、皮下出血(血豆・青あざ)や歯肉出血など出血傾向、肝臓の重い症状、だるい、食欲不振、吐き気、発熱、発疹、かゆみ、皮膚や白目が黄色くなるなどがある。だからこの入院時以降はシアナマイドもノックビンも服用していない。
今回の入院で得たことと言えば、アルコールが身体に及ぼす影響、アルコール依存症という病気についての勉強、退院後の生活に関する指導や助言の復習である。実りの多い入院ではなかった。そういったアドバイスがあったにも拘わらずまた入院してしまった原因はやはり「現実逃避」と「孤独感」だったのだろう。生き方そのものを変えないとアルコールとは付き合いっていけない。この時点で私は飲酒から卒業しようと思っていた。それは正直な感想である。
また、今回の入院では外泊時、以前参加していたAAミーティングに参加して病院側に気に入られるような行動を試みてみた。AAのメンバーたちはそんな私でも受け入れてくれたが、所詮、ミーティングが終わったらさよならである。だから自助グループにも限界がある。毎日、都内や横浜ででもAAミーティングはやっているが、毎日それらを周るのは大変だ。蒲田と原宿のグループは世話になった人もいたが個人的な交際はない。スポンサー/スポンサーシップがあり、飲まない生き方を続けるにあたって、また、AAの回復のプログラムを実践するにあたって、メンバーはより経験のあるメンバーに相談に乗ってもらったり、助言や提案を示してもらっているが、私にはそういう人はとうとう見つからなかった。
そうかと言ってこの病院のデイケアに通うにも遠すぎる。担当の看護師は退院後もデイケアで通うと思っていたらしいが、大学入学して以来15年間、東京・神奈川に住んでいてその土地の水が合わなかったことに今更ながらに気がついた。これは大阪に帰るしかない。
「住みやすいのは、やっぱり地元がいいのではないだろうか?」
そうかと言って実家に居候するくらいなら死んでもいいと思っていたので実家のある奈良の生駒市ではなく大阪市内に住居を探さなければいけなかった。そして外部のAAミーティングを除く毎日、外出許可をもらい、部屋探しを始めた。おもに大阪市内で、電車の駅から近いところがよかった。関東の不動産屋では探せないので、もっぱらネットカフェで探していた。
大阪で過ごすということは実家の奈良とも近い。今までの人生の中で家族から逃げ回っていた。しかし、さすがに30代後半になってまで親は干渉してこないだろうと思っていた。
外出のたびに物件探しをしてネットの不動産部件を検索したおかげで、よさそうな物件も見つかり、次回の面会の日にそれらのコピーと大阪DARCの資料一式を持ってきてもらうようにお願いした。と言うのも、AAはどちらかというと比較的長く飲酒した人が多く、年齢層も高い。だから私はAAでの話を聞いていても、気持ちのどこかに歯車が合わないことがほとんどだった。それに、私が求めていたのは「お酒」という飲みものじゃなく、エチルアルコールと言う「ドラッグ」だったからである。その意味ではAAよりもむしろNAに行ったほうがいいのではと思い始めた。
NAはナルコティクス・アノニマスの略で、薬物依存症の自助グループである。アルコールも立派な薬物である。AAとNAの差は年齢層だろう。NAに通っている依存症者はAAのそれよりもはるかに若い。
薬物依存は精神疾患の1つで、脳内の神経伝達物質として報酬系などに作用する薬物である。また、意志や人格に問題があるというより、依存に陥りやすい脳内麻薬分泌を正常に制御できない状況が引き起こした「病気」であるため、どちらかと言うと若年齢層が多い。その上、精神疾患の強迫性障害に伴う気分変調を紛らわすという目的で薬物に依存し、アルコール依存症などに陥る場合もある。これが私にアルコール依存症に引きずり込んだ第一の原因である。強迫性障害に伴う気分変調だ。

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