カルトに勧誘されかける
昨日の続きでずっと起きている。DJKAORIのCDを聞きながらベッドに横になってヴォルフ・シュナイダーの「偉大なる敗北者たち―メアリ・スチュアートからゲバラまで」のフィンセント・ファン・ゴッホを読んでいたら何度かウトウトしたので、起き上がってパソコンの置いてあるテーブルに移ってコーヒーを飲む。
昨日で私の電子書籍の「抵抗」をブログにアップし終えたので、最後に書いた「チベットへの遠征に見るナチスのオカルティズム」をアップしようと思うが、短いので、これまで2章ずつかそれ以上アップしてきた代わりに1章ずつアップしようと思う。同じような話は浜本隆志の「ナチスと隕石仏像 SSチベット探検隊とアーリア神話」でも語られているが、向こうは2017年刊行で、私が「チベットへの遠征に見るナチスのオカルティズム」を書いたのは2012年だ。ただし、「ナチスと隕石仏像 SSチベット探検隊とアーリア神話」の方は2012年に「宇宙から来たブッダ」というタイトルで、シュトゥットガルト大学のグループが、学会誌「隕石学と宇宙科学」に論文を発表して、ナチスのチベットへ探検隊が持ち帰った仏像が隕石製であったという、驚くべき鑑定結果が報告されていることに触れられているが・・・
ブログのアップも終わって、「偉大なる敗北者たち―メアリ・スチュアートからゲバラまで」の続きを読んで、インスタントラーメンを食べながらYouTubeを見ていたら、あっという間に7時になった。今日は9時半にヘルパーさんが来るのだが、中途半端に時間が出来てしまったので、テレビをBGMに大阪の再開発関係のブログやツイッターをチェックする。
最近ちょっと気になることがあったのだが、「スタビ(★starbee)」というチャットアプリで何度かメールの交換をした女の子がお寺の話になって、自分は念仏宗だというので、融通念仏宗かって聞いたら念仏宗三宝山無量寿寺なのだそうだ。その時はその宗派のことを知らなかったので、ウィキペディアで調べて、インド大菩提会(マハーボーディ・ソサエティ)のメンバーだとあったので、マハーボーディ・ソサエティといえば河口慧海で、マハーボーディ・ソサエティ幹事チャンドラ・ボースの紹介によりダージリンのチベット語学者でありチベット潜入経験のあるサラット・チャンドラ・ダースの知遇を得たことを引き合いに出して、河口慧海のことやチベット潜入の経緯、チベット仏教のことなどを語ってみたのだが、後になってよくよく念仏宗三宝山無量寿寺のことを調べてみると良くない噂も目にした。
念仏宗三宝山無量寿寺は1979年12月19日設立とあるので、仏教系浄土門の単立宗教法人であるとはいえ、いわゆる新宗教団体である。新宗教団体であるからといって全て否定するわけではなく、中にはちゃんとした団体はあると思う。しかしながら、無量寿寺の京都別院建設に対し、付近住民が署名を京都市に提出し反対運動を行っていたことや、福井県越前町(旧・朝日町)では、製麺屋が道場の名前で建築確認を取り、中学校の前に建設していた建物が、急遽、無量寿寺の福井別院と名を変え、教団施設の建設に反対の住民が立てた看板の内容に対し、念佛宗三寶山無量壽寺は名誉毀損として損害賠償を請求する訴えを起こしたことなどいろいろと問題がありそうだ。また、検索キーワードに「念佛宗三寶山無量壽寺 やばい」などというワードが有り、真宗大谷派宝林寺のサイトの中のお役立ちコーナーでカルト問題が取り上げられていて、エホバの証人や浄土真宗親鸞会と共に念仏宗無量寿寺が挙げられていて、名前を伏せて勧誘活動をおこなっているようだ。例えば、教団名は伏せて「38万支払って京都で2泊3日の研修に参加して、善知識のお話を聞けば必ず救われる!」というように勧誘されるようで、そのターゲットは、医師会、税理士会などの業界がらみや、青年会議所(JC)のつながり、親会社、得意先など仕事上の関係を巧みに使って断りづらい富裕層だという。なぜなら、兵庫県加東市に「佛教之王堂」という巨大教団施設があり、タイやカンボジアの王族や高僧が参詣したりして権威を高めることに専心していて、この巨大建築に500億とも600億ともいわれるお金がつぎ込まれたそうだ。Yahoo!知恵袋でもこの宗派のQ&Aがいくつもある。どれも否定的な内容だ。私と何度かメールの交換をした女の子は、仏教やお寺というキーワードで勧誘しようとしていたのだろうか?一種のハニートラップか?しかし、どんな色仕掛けで勧誘しても、38万支払って京都で2泊3日の研修に参加は無理である。金が絡む宗教は信じない。
9時半にヘルパーさんが来て、ヒラマサと大根と椎茸と厚揚げの煮物を作ってもらい、昼にそれを食べて、13時からはフリードリヒ・エンゲルスの「空想から科学へ」の学習会に行ってきた。今日は第1章のサン=シモン、シャルル・フーリエ、ロバート・オーウェンの理論と実践のところの後半を読み合わせ、これらの思想や実践の意義を大いに評価しつつ、社会の現実そのもののなかにそれを解決する芽が育っていることを発見できなかったところにその空想性・限界について学ぶとともに、第2章の古代ギリシャ哲学には自然を全体としてとらえる古代的な弁証法があったが、自然科学の発展とともに、その全体を個々の部分にバラバラに分解して精査する「分析」がおこなわれるようになり、この思考形態が骨化し形而上学となったという事の対比としての(1)連関、(2)発展(運動)、(3)相互浸透・相互転化のさわりの部分を読んだのだが、これがよくわかる。仏教に似ているのだ。
ヘーゲルは、「すべてのものは、連関、連鎖のうちにある」、「すべのものは運動、変化、生成、消滅するものである」という概念を主張した。つまり、弁証法の考えで大事なのは単体で存在するものはない、世の中のすべてのものは、かかわりの中で存在しているということであり、それの説明として、「量から質への転化、またその逆の転化の法則」、「対立物の相互浸透の法則」、「否定の否定の法則」という論を展開した。全てのものの成り立ちを語っている点は仏教の縁起に通じる。仏教の縁起は、全ての現象は、原因や条件が相互に関係しあって成立しているものであって独立自存のものではなく、条件や原因がなくなれば結果も自ずからなくなるということを指し、仏教の根本的教理・基本的教説の1つであり、釈迦の悟りの内容を表明するものとされる。ナーガールジュナに始まる中観派が専ら主張するところの「縁起」は、この世のすべての事象・概念は、「陰と陽」「冷と温」「遅と速」「短と長」「軽と重」「止と動」「無と有」「従と主」「因と果」「客体と主体」「機能・性質と実体・本体」のごとく、互いに対・差異となる事象・概念に依存し、相互に限定し合う格好で相対的・差異的に成り立っており、どちらか一方が欠けると、もう一方も成り立たなくなる。このように、あらゆる事象・概念は、それ自体として自立的・実体的・固定的に存在・成立しているわけではなく、全ては「無自性」(無我・空)であり、「仮名(けみょう)」「仮説・仮設(けせつ)」に過ぎない。この縁起と、先ほどのヘーゲルの弁証法は似ていないだろうか?
4時に訪問看護師さんが来て、それが終わるとさっそく赤ワインの「SIEMPRE」を飲みながら「偉大なる敗北者たち―メアリ・スチュアートからゲバラまで」のアラン・チューリングの章を読んでいたらいつの間にか寝落ちしていた。
アラン・チューリングはイギリスの数学者、論理学者、暗号解読者、哲学者、コンピュータ科学者で、チャーチ=チューリングのテーゼと計算可能性理論への貢献が、まず真っ先に挙げられるが、特に、アルゴリズムを実行するマシンを形式的に記述したものの一つである「チューリングマシン」にその名を残し、人によっては前述のテーゼを「チューリング=チャーチ」と呼称するべきであるとする者もいるほどである。また、任意のチューリングマシンを模倣(エミュレート)できる「万能チューリングマシン」は、同分野の基本的な定理のひとつである停止性問題の決定不能性定理と関係する。さらに、理論面だけではなく、実際面でもコンピュータの誕生に重要な役割を果たした。コンピュータ科学および(チューリング・テストなどからは)人工知能の父とも言われる。最も特筆すべき業績の一つは、第二次世界大戦の間、ブレッチリー・パークにあるイギリスの暗号解読センターの政府暗号学校で、ドイツの暗号を解読するいくつかの手法を考案し、英国の海上補給線を脅かすドイツ海軍のUボートの暗号通信を解読する部門 (Hut 8) の責任者となり、ドイツが使用していた、エニグマ暗号機を利用した通信の暗文を解読する(その通信における暗号機の設定を見つける)ための機械 bombe を開発したことだろう。これによってドイツのUボートの動きはイギリスに丸裸となる。しかし、晩年は不遇な人生を送る。1952年、同性愛の罪(風俗壊乱罪)で警察に逮捕され、保護観察の身となり、ホルモン療法を受ける。1954年に41歳で死去した。検死によると、青酸中毒による自殺と断定されたが、母親や一部の友人は事故だと信じていたという。