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13.3度目の入院

11月の末にインドから帰国して、しばらくは職探しやAAミーティングへの参加、実家での休養を経て、社会復帰する自信がつき、1月の半ばから横浜の建築設計事務所にアルバイトの形で働くようになった。使用していたCADは初めてのものだったが半日でマスターし、その日のうちに設計実務をやることになった。
しかし仕事を始めると、設計事務所と言う職業柄残業も多く、AAミーティングからは足が遠ざかってしまった。それでも1ヶ月半は何とか意志の力で断酒を続けていた。だが、大きな仕事が一段落した時、気の緩みから再飲酒してしまった。それを機に飲酒してはしばらく断酒し、また飲酒するという生活が始まり、気がつくと毎日飲酒する生活になっていた。断酒しなければならないという気持ちは強かったが、気持ちだけではどうにもならなかった。4月になって、会社をリストラされて無職になると昼間からも飲むようになって連続飲酒状態に陥ってしまった。
一人だけでは断酒が困難と判断した時、入院しようと思って、一度入院した桜ヶ丘記念病院に電話したとき、以前のソーシャル・ワーカーは移動になって別の病棟に移っていたのだが、偶然アルコール病棟のナースステーションに居合わせたので私だと分かり、何とか速やかに入院することができた。その際、ソーシャル・ワーカーは会社を辞めて無保健状態だったので、急いで区役所で国民健康保健の手続きを行えと指示を出してくれ、その足で病院へ向かった。
この病院に入院するのは2回目なので勝手がわかっている。ただ、心配だったのはこれまでの3回の入院で貯金が無くなってしまうことだった。その心配がたたってなかなか寝ることができない。睡眠薬は飲んだのだが一向に眠気が来ないのである。追加の睡眠薬を何度も飲んだのだが無理だった。結局、当直の医師が打ってくれた麻酔薬に似た静脈注射でやっと眠ることができた。
次にやることはhotmailのチェックを1カ月放置しておくとアカウントが無くなるので、インドから帰国した3月にチベットのピースマーチで知り合った女の子に定期的なhotmailのチェックを頼んだのである。それがナースステーションンの電話からどのメールを置いておいて、どのメールを削除するなどの細かい指示をしたので長電話となってしまい、当直の看護師に注意されてしまった。
同じ病院で2回目の入院となってしまったので、長期入院している患者とも顔見知りで、
「また、戻ってきたのか?」
と冗談を飛ばす余裕もあったが、気になったことは退院後の生活である。会社は辞めてしまった。退院して職を探すにしてもそれまでの生活資金がない。新しいソーシャル・ワーカーはその点の相談に乗ってくれると言ったのだが、一向に相談の時間が取れない。
唯一の救いはメールのチェックを頼んでいた女の子が土曜日か日曜日に埼玉の上尾から多摩の聖蹟桜ヶ丘まで毎週面会に来てくれたことである。片道2時間の道のりだ。後日、その女の子が当時私に恋心を持っていたと聞かされたが、なにぶんそういうことは鈍い私である。全く気がつかなかった。
アルコール専門病棟に3回も入院すると、アルコールが身体に及ぼす影響、アルコール依存症という病気の勉強、退院後の生活に関する指導や助言はもう十分に受けてきた。しかもこの病院の治療方針も熟知していたので、作業療法の室内作業の時間にワープロを使って退院が近付くと発表しなければいけない酒歴を書き始めた。書く内容は2回目の入院と大して変わらない。ちょっとアレンジを加えて酒歴の書き方に沿って書くだけである。酒歴の書き方は何項目化に分かれていて、
1) アルコールを飲み始めたころ
2) 問題飲酒の発生
3) アルコールによる問題行動
4) アルコール依存症と診断された時の気持ち
5) アルコールなしでの生活に対する心構え
6) 今回の入院で得たこと
などなどである。それに沿って書けばいい。元々論文の訓練を積んでいたこともあって作文は得意である。入院早々に書き終えた。後は膨大な暇つぶしである。
ARPは相変わらず退屈なもので、これを実行したら断酒できるとは思わなかった。しかも私はこの時点で断酒するつもりもなかった。とりあえずの入院である。連続飲酒だけ止めてもらえばいいと思っていた。だから、例の朝の会の時もシアナマイドを飲む真似をして、直後に吐きだしていた。そして土日の外泊の時は必ずワインを一本買って自宅で飲んでいた。だからと言って良心の呵責はない。
アルコールの分解スピードには個人差があるが、だいたい体重1kgに対して、「1時間に0.1kg」分解されることになる。体重が50kgだと1時間に分解できるアルコールの量は5グラムだ。アルコールの「1単位」はワインに換算するとグラス2杯である。量としては20グラム前後の純アルコールを含む酒類の量になる。それに体重が50kgだとする4時間で分解される。外泊は朝の9時から翌日の夕方5時までだったので、例えば夜の10時にワイン一本飲んだとしても、19時間ある。ワイン一本くらいなら完全に分解されていて匂いも残らない。そして病院で日曜日の午後から土曜日の午前中まで断酒すればまた飲める。
1回目の入院、2回目の入院の時は本気で断酒しようと思っていたが、入院も3回目になると断酒の決意も薄らいでいた。退院後の当面の生活は保証されていたので、とりあえずの中休みくらいにしか考えていなかった。
作業療法で畑仕事しても、アルコール依存症の映画を観賞しても、院内ミーティングでこれまでの酒歴とアルコールにまつわる生活の破たんを語っても、外部のAAメンバーのメッセージを聞いてみても、毎回同じの酒害教室の講義を聞いても、私にとって断酒は無理である。それが結論だ。中にはARPを通じて断酒できる人もいるだろうが、私には無理である。実際、3回目の入院の時は節酒で上手くいっている。この時の私は入院とは連続飲酒に陥った時の駆け込み寺的な存在でしかなかった。

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