今日のおふだワーク「心配」
朝起きた瞬間、ふっとしたときにおでこの裏側に浮かんでいる言葉を書きとめると絵が浮かぶ。そのまま描く。そして考えるのが、お札ワーク。
私はずーっと、愛ゆえに心配して、心配を拾い集めて心配ないようにするのが精一杯で、愛したことや愛があることをよろこぶ暇がなかった。心配事が怖すぎて心細すぎて、他人の心配も背負ってしまおうとする。どんなに心細かろうと、手伝わないでいられなかった。シングル家庭で子ども二人。家族の時間を作ろうと隙間を開けるとそこにぴったりはまる心配事がやってきた。きちゃったんだもん、よいしょと背負う。
私がそうなりたかったわけではない。幼い頃からの環境と能力で自然にこんな自分になった。
思い返せば「そりゃご苦労やったなぁ」と思う。私の心配の仕方はそこそこ過剰だったし、誰もが同じ程度で心配してるわけでなかった。それでもなんとか心配を切り抜けてきたのに、たまには安心して愛しい気持ちで周りを見回したりすればよかった。次から次へと心配はやってきて、ご飯食べずに働き続けるような感じやったわ。飢えて死ぬがな。あげくに誤解や批判も受けて、何もかも恨みたい気持ちやったね。考える事だけは大好きで続けて居た。落書きだけれど描かない日もほとんど無かった。今はしかばねっぽいのから復活中。
あれっ?
また心配している。こんな私を。思い出して考えてわかったのに。心配してもしなくてもおんなじ幸せだったのに。思い出したわ。効果はあったつもりでさしてなかったけど、まあまあの困難を越えてきて無敵やった。しかも今は何も心配することはない…あるけどしてもしなくても一緒。
毎日描いてる。楽しい仕事もある。飢えてない。アトリエもベッドもある。ハッピー。これから自分のために高望みするんだった。人生のメインイベントはこれからだって浮き足立ったのになぁ。ウケるわ。
忘れっぽいからこうして時々お告げ来る。