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イカくんとわたし
両親が死んで、弟のイカくんと私と暮らしている。
(あ、いつにも増してただ書き留めるからわかりにくいかもしれない。)
母が少しずつ動けなくなって、いろんなことが「里に帰りやがれ」と導くので帰ってきた。その時は家族四人欠けることなく。気がキツいけど長女、しっかり者で実家を支える、のつもりであった。
母とは介護をしながらたくさん話した。母はあまり話をじっくり聞くタイプでなかった。若い頃家を出てしまったので知らなかった。けれど、たくさんの思い出話を聞いた。お風呂の世話をさせてくれるようになって、足の指一本づつつまんで擦るとちゃんと垢がよじれるから新陳代謝が活発だねなんて、よく笑いあった。最後のお風呂でお母さんが気絶して、休むと言ってその日はよう眠った。母の側で仕事をするようにして、それから2日、息をひきとる時に一人で立ち会った。イカくんもいつも何かと話しかけ、お供えのように手土産を運んだ。白髪のお姫さまは「ごくろう」とのイカくんにびのびわがままを言えたと思う。イカくんが褒められた形跡はなかったけれど。
そのあと割とすぐに父も見送った。父とは母が死んでから毎日朝と晩、食事の時に話した。ゆっくりとのんびりと、こんな風に感じたことを話し合うことなど、父は母ともなかったのだろうと思った。たくさんの思い出話を聞き、会話の成り立たない父というキャラは朝の連ドラで感想を述べ合うほど話せる父になった。喧嘩もしたけれど、愛されてるという安心は揺らぐことはなかった。しっかり者の長女は父を病院に運び医者と話した。でも、ちょっと間違えたと思う。絶叫する私の押しがもう3発ぐらいあったら、たぶん、今父はまだここにいる。甘んじている暮らしでは、制度の不備や仕組みに飲まれて人が死ぬのである。本題はこれじゃないんでまた別の時に。
私たちは親が喜ぶのが好きだったと思う。外食ではいつもイカくんは運転手、お酒の相手は私、時々は交代。母が食べたいもの、父が行きたいところ、へ出かけた。姉と弟で、母に、父に。父に、母に。イカくんは嫁に行けるくらい家事が出来るので、私でなければならないこと以外は一緒にできた。
父を見送った後、イカくんと外食した。霊柩車で病院から戻って葬儀が終わるまで、二人とも何も食べる気がしなくてパイナップルばかり食べてた。外出すると互いを思い浮かべてパイナップルを買って帰った。二人とも自分たちが何が食べたいのか思い付けなかった。「お父さんも、お母さんも幸せだったと思うよ。」迷った挙句のラーメンをすすりながらこれまでのイカくんを褒めた。
父は一度もイカくんを褒めなかった。私もさして褒められなかったけれど。私は納得がいかないところは説明して、強く主張するので父の心を聞くことができた。毎日の働きかけと食事中に絶叫して3回ほど席を立った効果。私は改善を目指して観察し考え、しつこく働きかける。父とは良かったことも誰にでもいいわけじゃない。父は私を愛していたし、感情を引きずらない。
イカくんと私は同じ両親に産まれて、性格も違う。両親を観察して育った私たちは人の態度に影響を受ける。イカくんは自分のペースを守るのが上手だけど、私は下手。そしてイカくんは気を回す癖がついてる。私も気を回す側にいないとライラする。しかも、自分のすることにこだわりがあるので良かれと思っても無断で触ってほしくない。私のこだわりの強さと、イカくんへの評価が関係ないことを伝えないとイカくんが不安定になる。放っておいてもらわないと私もおかしくなる。
↑食卓にテレビがいらない私のためにテレビをつける
機嫌が悪くない時に気持ちやルールをストレートに言葉で伝え合うのがいい。もう二人っきりなんだから、疲れないで安らぐようにしたい。伝わったのかわからなくて、何回にも分けて話した。父と母にしてくれたことの感謝も。私も助かっていたことも。
「仲良くしていこうってことやらぁ?」
と、何回めかにイカくんにまとめられた。その通り。出来事から感じた気持ちを話してルールを提案を提案して、必ず気分を害したりしたり怒っているわけでないと伝えた甲斐があった。
↑私のためにチャンネルもチョイス
コツもわかった。
私は怒ると怖い。だから機嫌よくしていられるくらい、イカくんに迷惑をかける。イカくんは世話を焼くことが嬉しいので機嫌がいい。やらかし気味な私は、イカくんが気に触る世話を焼いてきても、やらかしても気にならなくなっていつも機嫌がいい。お互いが安らぐ。
イカくんと私の解決策は「私がイカくんに迷惑をかける」だった。
イカくんにわかってもらうとか、直してもらうとか、私が改めるとかでなかった。びっくりせん?これは試してみるといいと思う。実は身の丈を超えて頑張ってて、報われない気持ちの人は特に。
私は、「助かる」と言われて育った。助かることをしないといけないと思っていた。喜ばれた覚えがあんまりない。どんなにしんどくても創り上げるのが好きだけど、場に嫌悪が渦巻いてるのに弱い。頭で考えて色々試すので、取り合ってもらえないのが重なると機嫌が悪くなったり悲しくなったりする。
みんなそれぞれ、環境と能力で出来上がった特徴を持ってる。
本当の私はしっかりしてない。父も死なせてしまった。(生かす方法はあったし、疑って二回問い合わせている。行き着ける能力はあったのに、今回はできなかった。これは、もう、仕方がないと思っている。)わたしは、自分のチカラ以上に挑んで、いろいろなものすごい無理を戦ってきたんだと思った。父の死と合わさって、なんて悲しい人生だったのだろうと、しばらく落ち込んだ。
けれど、よくよく考えてベストなタイミングで出来事が起きているのが確認できて、今は「勇者やな〜。よっ!こわいもの知らずっ!」と声をかけている。たくさん考えたおかげで、私はどんな時でも私にぴったりの方法を見つけられる。父は諦めがよいのであの世で軽く詫びたいと思う。許してくれるのは知ってる。
↑そして立ち去る
イカくんには確認していないけれど、安らいでいると思う。
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