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価値観+刺激=情熱+(?)

昨日の一連のツイートで、熱が必要だとおっしゃってましたが、熱を持ち、さらに続ける為には土台が必要だと思います。かぷりこさんは動ける肉体をその土台の一つとして考えてると思うのですが、他に土台になり得るものはなんでしょうか?

また別の界隈を見ていると、正義感や、怒りなどを動機、エネルギー源にして精力的に活動している方を見かけます。しかし、とても主観的な感想になってしまいますが、つらそうに活動してる方をよく見かけます。熱を持ち続けるためには何らかの動機が必要だと思うのですが、幸せになれる動機とつらくなる動機、何が違うのでしょうか?また、どうやって見分ければいいのでしょうか?



良い質問ですね。


というわけで、今回は人生を進めていく上で欠かせない熱という概念について考えてみます。

情熱、情の熱です。それは感情のエネルギー。(情報が増えない)

人生って動かしていく時、そこには何もないわけなくて、説明しがたいエネルギーのようなものがあります。

わざわざ僕らはその存在を説明せずともあるということを何となく認識しているので、人生に熱が必要と言われても「まあ、確かにそうよな」と何となく納得や理解を示してしまいます。


熱って、そもそもエネルギーの移動に伴って発生する現象です。
ので、僕らが誰かの行動について熱いと感じてる時、僕らはその人の行動からなんらかの感情のエネルギーを受け取ってるわけです。

そして、熱は高いとこから低いところに移動するものなので、熱いと感じた瞬間に僕らのエネルギーは相手よりも低いところにあるわけです。

焚火を熱く感じるのは僕らの方が焚火よりもエネルギーを持ってないから。
氷を冷たく感じるのは氷に僕らが自分のエネルギーを吸い取られてるから。


感情のエネルギーは熱力学第一法則、第二法則に縛られたりはしませんが、ある程度似たような性質は持ちます。

大丈夫です、まさか突然クラウジスやトムソンの原理を解説したりしません。興味があれば調べたら良いとは思いますが、多くの方は以下の僕のなんちゃって科学っぽい説明でふんわりと「ああ、そうよなぁ」ぐらいの納得をしてもらえたら大丈夫です。


基本的にエネルギーというのは、自然に下がります。これはエネルギーが拡散してしまうからです。エントロピー増大の法則ですね。一時的にめちゃくちゃ怒っていても、その時の感情のエネルギーは拡散して他の感情と混ざり合ってしまって怒りの形をなさなくなります。あるあるです。

やる気とかもまったく同じです。やるぞと決めて動いていたエネルギーは時間の経過と共に、散らばってしまうものです。


そしてこれらのエネルギーは外部から取り入れるしかないのです。
コップの水が周りの空気の熱を集めて勝手に高温になることのないように、僕らの感情のエネルギーもまた普通に暮らしてるだけでは出力は上がりません。

基本的に他人から刺激を貰うか、自分で刺激を見つけたり作りだしたりしないと、自分の中のエネルギーは増えません。


特に、これは感情のエネルギーに限定してですが


価値観と刺激の反応でエネルギーが生まれる


と僕は考えています。


たとえば、これを書いている途中で有名テレビ番組で、ロイヤルホストのパンケーキにダメ出しをしたところどえらい燃え上がる事態となっていました。


これは


価値観=ロイホのパンケーキは素敵!
+
刺激=このパンケーキはダメですね。

怒りのエネルギー=好きなものの否定と食い物の恨みの複合の炎!


という形です。

実際のエネルギーで言うところの反応熱の形でエネルギーを取り出せているパターンです。多くの場合、情熱はこの形で生まれてきます。価値観と刺激が揃わないと出ないです。


なので、情熱を持てないと悩んでいる場合は、まず自分の価値観を正しく把握すると共に、その価値観を刺激する刺激と出会う必要があります。

もう一つ、人間と人間がぶつかり合うことで生まれる摩擦熱もあります。

お互いに切磋琢磨することでしか得られないものがあるのは、誰しも一度は経験したことがあると思います。え、ないの?そっか…ないか…そっか…。なんかごめんね…。じゃ、ここはやめとくね…。



さてさて、感情のエネルギーというものに理解が深まってきたことかと思いますが、基本的にエネルギーはそこに存在するだけでは何の役にも立ちません。


蒸気も、ただほったらかしたら湯気となって空に還っていくだけですが、容器に入れて受け止めることで、圧力を生み出し、シリンダーを動かし、動力機関として活用されていくわけです。

※エネルギーの可搬性の歴史は人類史の中でもかなり重要項目ですが、今回は一度置いときます。


火力も、電気も、水力も。
それぞれなにがしかの変換装置を通さないと利用することは難しいです。

エネルギー量が同一であっても、利用のしやすさという観点でエネルギーの質の善し悪しみたいなのが生まれるわけですね。


感情のエネルギーの場合、その利用するための変換装置が

肉体
言語

この2つです。
ここの変換装置を土台と言っても良いと思います。
(ようやく1つめの質問に答える)


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そして幸せになれる動機と、そうでない動機の違いですが、先に回答を申し上げると、動機の違いは問題にはなりません。
なぜならば、幸せかどうかというのは、あくまでエネルギーの運用結果だからです。

なので重要なのは


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僕は肉が好きです。ステーキ食いたい。