立てよ、愛のネクロマンサー。
【はじめに】
人間はありとあらゆるモノ、コト、そして人とお別れするように出来ていますね。さよならだけが人生だ、なんて言葉もあります。
出会いは別れの始まりですし、全てのものが無常であることは祇園精舎の鐘の声を聴くまでもなく、僕らは何となく理解しています。大なり、小なり。
しかし、わかっていても僕らはいつだって別れに心を痛めるのです。
特に人がいなくなるのはつらい。
そこにいた人がいなくなる。
共に在った時間が失われてしまう。
共有する相手がいない想い出は、切ない。
それはその時を共に過ごした自らを失うにも等しいところがあります。
人を失うとは、自分の一部が永久に手の届かないところに行ってしまうのと同じであり、それ故に僕らは別れに痛みを覚えるわけです。
僕らは喪失とどう付き合っていけば良いのでしょうか。
もちろん、常に正解の選択肢なんてのは存在しません。
ケースバイケース。その時その時に応じた最適解があるだけで。
僕らはその瞬間の自分に見える選択肢の中に正解があることを祈りながら歩みを進めるしかないです。
しかし、時に喪失の痛みに人は耐えきれず、とんでもない行動を取ってしまうものです。
怪しい宗教にハマったり、よくわからない健康食品に手を出してみたり、陰謀論に染まってSNSで色々な人に迷惑をかけてみたり…。それはそれは種々様々です。種々様々でありながらあるあるの行動ばかりでもありますね。
そしてまた、失恋もそうですね。
失われた恋を、時間を、関係を。
諦められず、認められず。どうにか取り戻そうとするのです。
すでに失われたそれらは、形のない死体で。
その事実を認めることから逃げ出した先にある、復縁と言う文字。
関係性の死霊術。ようこそ、ネクロマンサーの世界へ。
【ベストを尽くした、悔いはない】
僕が今まで見てきた男女のムーブにおいて、その付き合いにベストを尽くした!と言い切る人がちょくちょくいます。
その気持ち自体は悪くないと思うのですが、残念ながら僕はこのセリフを言っている人を見るといつも思うのです。
「え?誰にとってのベスト???」
と。
本当にベストな行動ができてたら、今君フラれてなくない??
ん??出し尽くした???ん??誰が何のために何を????
というやつですね。
本当に一緒に生きていきたい相手と、その相手と共に幸せに過ごすことを目的としてベストを尽くしていたならまずまず別れるわけがないんですね。極めてシンプルな話です。
どこかで折り合いのつかないエゴとエゴが出てきてぶつかることは必ずあります。でも、本当にその人との付き合いを優先するなら、自分のエゴは引っ込めたら良いだけの話ですよ。
どうしても折り合いのつかない、仕方のない事情で別れることだってあるじゃないか!ですって??
ええ、おっしゃるとおりです。
でもそういう人はSNSで言わないんです。ベストを尽くしたとか。
こういう部分で折り合いがつかなかった、残念だ…。ぐらいです。
ここで考えてみましょう。
別れた後になぜ
「自分はベストを尽くした!」
と高らかに宣言する必要があるのか。
ことSNSに於いてはそれが顕著ですね。
もう答えは出ていますか?
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僕は肉が好きです。ステーキ食いたい。