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長文がやめられない君へ

【はじめに】


今回は質問箱ではなく、今まで僕が経験してきたことから書くやつです。


先日、ツイートもしたんですが、みなさんは普通に暮らしていて突然、コストコで1か月分の買い出しをした時のレシートみたいなLINEやDMをもらうことはありませんか??


行間もなく、もう画面全部文字、みたいなギッチギチの長文です。


受け取って眺めた瞬間に「ひっ…!」て声が出そうになるやつですね。
たぶんこめられたエネルギーに僕らはビビるんですけど。


え?


なんですって???


貴方がアレを送ってた側ですって?????



それは…その…なんというか…ねぇ…(気まずい



というわけで、今回はこの長文を送ってしまうことに対して悩んだりしてるという前提で書いていきますね。


気楽に読んでください。
うっかり心にグサっときてしまうかもしれませんが、正直これでもかなり配慮して書いたので、もしそうなった場合は頑張って乗り越えてください。


ではいきますよ。


【レシート長文は恐怖との付き合い方の一形態である、という話】


レシート長文。
本当にパンチの効いた存在ですよ。


僕がかつて受け取った実物を大量掲載したいんですけど、それをやると当人にめちゃめちゃ怒られそうなので断念します。


ただ、不思議なほどにレシート長文って同じ構成なんですよ。


それは

『自分がどのような状況にあって、どのように受け取り、どのように感じたのか、その正当性をただただ書き連ね続ける』


という構成です。


報告文とはまた違うんですね。
同じ長文でも、事実だけの報告文だとどうなるかというと、時系列的に並ぶので、形式段落でちゃんと分かれてくるんです。

ちゃんとワンパラグラフワンセンテンスというか、ひとつの段落で伝えたいことがひとつなんです。


でも、レシート長文は違います。


伝えたい自分の気持ちも不明なことが多いので、その気持ちになるまでのことが全部ゴチャァ!っと詰まってしまって、文章の密度がとんでもないことになるんですね。本当にこればかりは実例を見て頂くのが一番手っ取り早いんですけど、残念ながらまことに残念ながらその実例をご用意することが出来ないので頑張ってその手のレシート長文が醸し出す狂気の密度をここの部分で形の上だけでも再現しようと試みていますが本当に難しいです。なにせ悔しいのですが僕は一つの文を長々と続けて書くのが得手ではないのです。通常の国語教育を受けてきたならというと表現に棘が出てくるかもしれませんが、基本的にコミュニケーションというものは相手が受け取りやすい形で投げるものであり、だからこそキャッチボールに例えられるわけです、ところがレシート長文はキャッチボールは目的としていないんです。コミュニケーションがとれるかどうかは実はレシート長文を書く人にとっては重要ではないのです。受け取れるかどうかが重要ではなく今自分の窮状を訴えることが第一優先課題になっているので読みやすさ受け取りやすさが二の次になります。とにかく伝えないとダメなのです。自分がどうしてこうなってしまったのかを事細かく書いて少しでも読んでいる人が自分と同じ気持ちになってくれることを祈りながら。そうまさにこのような感じの文面ですね。



ぜひスマホでこの画面は見て欲しい。結構な圧になっているはず。



さてさて、それにしてもどうしてレシート長文を書いちゃうんでしょうね。


これ考えてみたことあります?


もう、ちゃっちゃと答えを書いちゃいますね。
読むの疲れてきたでしょうし。


答えはね


『怖いから』


です。もうめっちゃシンプルな話です。


で、何が怖いかというと


『自分のことをわかってもらえないこと』


が怖いんですね。


だから、どうしてもわかって欲しくて、書いちゃうんです。
あのコストコの大量買い出しレシート長文を。



そうなんですよ。


レシート長文は恐怖との付き合い方の一形態でしかないんです。


もし、貴方がレシート長文を突然人に送り付けてしまうのを辞めたいと思っていたとしましょう。


でも、仮にやめても貴方に恐怖が残っている限り、必ず何かしらの形で噴出してきます。あるいは、ストレスで貴方自身が壊れます。

そのストレスから逃げるためのレシート長文なんですから。



レシート長文をやめようと思っても、この恐怖との付き合い方がこれしかなければやめようがないです。


なので、次は貴方を悩ませている恐怖がどこからくるのかを確認してみましょう。


【見落としてしまっている心理的な前提の話】


恐怖がどこからくるのか考えてみましょうか。


わかってもらえないのが怖い、というのは何でなんでしょうね。


ちょっと難しいですね。
なので、逆に考えてみましょうか。


貴方はわかってもらえたら安心するんです


はて?おかしいですね。


理解されたら安心??それはどうして????



安心している、ということはこれでもう「攻撃されることがない」と思ってますね。そう、わかってくれたら相手は攻撃しないと思ってる。


ここで気付きますか。




【わかってくれたら相手はきっと自分の思い通りに動いてくれる】




と考えてしまっていることに。


ところがね、そんなわけないんですよね。

たとえばですよ。


「ぼくの村では好意を伝えるために、相手の私物を舐めまわすんです!」
「なるほどそうなんですね」
「なので、貴方の私物を舐めまわさせてください!」
「…え、いやですけど…」
「そんな!!!わかってくれたのに?!!どうして!!!!」


どうしてじゃねぇよ(クソデカフォントにしたい)


でも、これでわかりますよね。



そうなんですよ。


【 理 解 ≠ 許 可 】


なんですよ。
ここを間違ってるんですね。



じゃ、なんでこんな勘違いが発生してしまっているかというと

『他人と自分の区別がついてない』

という状態だからです。

これって、どういう人がなるかというとですね。


簡単にいうと「子供」です。


子どもはまだ未成熟なので、自他の区別がつかないです。

そう、レシート長文を書いてしまうのは、未成熟だからという、恐ろしい事実が浮かび上がってきてしまいました。


え?じゃあ、どうやってみんなそこを区別つけてんの???
どうやって子供から大人になんの???

という風になるかと思います。

次の章ではそこを扱います。


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