見出し画像

果たして自己中は咎められるべきか


【はじめに】


この悩みに向き合っておられるのは貴方だけじゃないです。


みんな大なり小なり


「あれ?もしかして自分は自己中心的な人間になってる?」



という恐怖というか疑念というかそう言ったものに苛まれるタイミングがあります。



まず僕が今回お伝えしたいのは


「自己中には良い自己中と悪い自己中があるよ」


ってことです。




その上で、自己中の良いところを使いこなしていって、自分自身の資質に対して変な後ろめたさを感じることなく生きていってほしいな、と思ってます。



何せ、今回「自己中を脱却したい」って書いてあるんですけど、これ僕には


「自己中な気質を持つ自分を許せるようになりたい」


って読めたので。

ただ、どうしても脱却したくなった時のために、その手法も後半でまとめておくので、必要そうなら見てください。





【自己中と呼ばれる仕草について】



ちょっと主語が大きくなるので、ドキドキしながら書きますね。




日本人は自己都合に対してあまりに、厳しい。




まずはここからです。



日本人の大多数は自分のメリットを追求することに対しての嫌悪感が本当に強い。


かくいう僕ですらその感覚がないのか?と言われると、正直あります。残念ながら。ごくわずかに、ですけど。



これは日本社会の成立の歴史を辿るとどうしようもない部分はあります。



【和を以って尊しと為す】


みなさんも人生で一度は聞いたことがあるんじゃないですかね。


日本の社会は構成人員に対してこの感覚が生えてくるように設計されているところがあります。




今でこそ就農人口が激減していますが、我々は典型的農耕民族。
サムライジャパン?いえいえ、百姓ジャパン。そういう感じです。



圧倒的に多くの人がそのルーツに農村の生活習慣を持ちます。
関東圏ならまだもう少し話は違うかもしれませんが、基本的に農民。
みんなでコメ作って、過酷な自然とどうにかこうにか付き合って命を長らえて、命を繋いできました。



田おこしに始まる稲作習慣は数多くの人間と協力して生きることを求め続けます。稲作というのは1人でやれる規模ではたかがしれています。
治水等の都合も含めて、大人数でやることを前提として発展してきました。



なので、稲作に携わるメンバーが変なことしてしくじれば年貢が、食糧が、というシンプルに命につながる問題が噴き出します。



協力しないやつは村八分です。
あるいは治水時の人柱。ひぇぇ。



この習慣から生まれた感覚が現代にも根付いてるわけです。


自分の都合でみんなでやるはずの田おこしの日に協力しないやつは許せないんですね。人の成果にタダ乗りするだなんてもってのほか。


そんなやつを見つけたら…(以下略)


といううわけで、そんなふうに社会から敵認定されて排除されるリスクを最小限にするために親たちは子供たちに伝えるわけです。


「自分勝手にしちゃダメだで。村のみんなから嫌われたらおしめぇよ」


と。


多くの人の中に根付く『自己中はやめとけ』の感覚は脈々と受け継がれてきた日本社会における社交的護身術の1つだったわけですね。



自分の都合を社会及びその構成人員に配慮させること。



これが日本において自己中と受け取られる仕草です。


…ん?
そうですね。質問者さんはここ該当しなさそうですね。



【良い自己中?悪い自己中?】



自己中という言葉を考えてみると、結局自分のことしか考えてないみたいなニュアンスになりますね。


でも、どう考えても人間に社会的な教育を施さなかったらそうなりますよ。
だって自分の命を維持する資源を獲得するというのは本能ですもの。



社会ってのは本能が短期的最適解とするものを否定して、中長期的な得を生産する仕組みといえます。
先ほど稲作に言及しましたが、稲作は典型的にそうですね。




ご飯一膳分の種籾が田んぼ一面の米になるわけです。
短期的最適解は今炊いて食うですからね。本能と社会の得意分野の違いとも言えるでしょう。


本能は比較的「自分のことだけ」を考えるのが上手く、理性と学習は「社会の中の自分」を考えるのが上手い、とも言えるでしょう。



そもそも良い自己中と悪い自己中の差はどこにあるのか?ここは僕は



「全体への貢献度」


という部分がポイントだと考えます。




結局、社会的によくないとされる自己中の特徴ってまずフリーライド的な部分なんすよね。



社会構成人員がそれぞれ労力等々のコストを支払って維持している制度をなんのコストも払っていない人間が利用する



みたいなとこに対してみんな怒るんですよ。


あるいは、個人利益のために全体に損を与える場合ですね。



わかりやすい例で言うと、漁法の制限ですね。

水中に電気を流したり、爆発物を用いたり、毒を流す漁法は禁じられてます。


で、何故禁止されているかといえば、それをやると漁場が荒れるからです。
その時に個人に得があっても全体から見た時に取り返しがつかない損が発生する。


これは漁に限らずどこにでも発生するやつですね。



短期最適解が中長期で見るとどうしようもない悪手なのは古今東西で人間が何度も直面してきたやつです。



焚書坑儒なんかそこらへんの典型例ですね。
当時の治世の問題点の短期的解決策として良さそうだったけど、マジでクソ悪手という。


人間、基本的に自分が所属する社会集団が継続されるように動ける個体が多く生き残ってきてます。
正確にいうとそれをしない個体が増えた集団は滅んできたんですけど。



そういった観点で考えると自己中心的行為は嫌われてしまうのも理解できますね。


というか、それらの行為は社会サイドが制度の自衛のために潰しにくるって感じですね。社会はただただ存続しようとするので。それらを阻害する要因を許しません。




逆にいえば、これらの事さえしなければ内面の自己中心的な思考は何も問題ないです。


というか、自己中心的という表現さえ適切なのか僕にはわかりません。



全く問題ない。むしろ教えてください。
メリットデメリットを考えることの何が悪いのか??



ここを論理の破綻なく悪いと言える人、そうはいないと思います。


自分のメリットだけを考えて、他人に損をさせているなら咎めを負うかもしれません。それは確かに自己中心的です。



でも、そうでない限り全く問題ないです。



なので、質問者さんにおかれましては、ご自身の気質に対して恥じることなく、自分の利益を確保しつつ、社会から敵視されないように立ち回っていただけると良いと思います。



それでも、もし、自分の中に刷り込まれた規範意識がご自身の自己中心的な発想を許せない時のために解決策を書いておきますね。


以下有料ですが、興味があればぜひ読んでください。
単品購入(300円)もできますが、定期購読(500円/月)がオススメです。
その月に書いた他の記事もガンガン読めます。

過去記事に関しては加入してない月のものはひとつひとつ買わないとダメらしいです。

なので、今読めなくてもまた読みそう、とか、高額なものが出てきたりしたときのことを考えると定期購読しといてもらうのがお得かもです。

毎週水曜日21時には更新を予定してます。


ここから先は

1,099字

¥ 300

僕は肉が好きです。ステーキ食いたい。