原風景のはなし
こんにちは。Pelikanです。
みなさんには心に残る風景というのはあるでしょうか。普段ふと心に浮かんできたり、実際に見ると昔を思い出したりして懐かしくなる景色です。僕にはいくつかあるのですが、どれも川の風景です。
思い出の川
1つ目は僕の育った田舎の川です。実家の近くに2つの川が合流して水が深くなる場所があったのですが、そこの河原によく行っていました。そのあたりで少し流れが緩くなり、川の向こう側にある山から木々の枝が伸びてきて影ができ、川の色がより深い緑に見えます。
夏にはよく泳ぎに行っていて、影のあたりは水が冷たく感じてとても気持ちが良かったです。河原からはたくさんの魚が見えます。それで興味がでで初めて釣りをしたのもこの川で、釣り糸の結び方もよく知らないながら大きなウグイが釣れて大はしゃぎでした。
冬は雪が降るので遊ぶことはできませんが、雪山と川の景色が美しく、冷たい空気を吸い込めば頭がすっきりとします。
高校を出るまで実家にいて、その間は悩んだり1人で考え事をする時はいつも河原に行っていました。今も実家に帰ると1人でふらっと河原に出かけます。
2つ目の風景は大学時代を過ごした京都の鴨川です。実際は浪人時代から京都にいたので、大学院を出るまでの7年間、ほとんど毎日眺めていたように思います。浪人時代の寮生活、受験、大学合格、初めての一人暮らし、新入生歓迎イベント、飲み会、サークル活動、大学祭、祇園祭、バイト、研究室生活、いろんな思い出の景色の一部です。
子供時代の田舎の自然の中の川とはまた違って、京都の街にあう、程よく整備された美しい川でした。田舎との一番の違いは河原にいろんな人がいることで、走ってる人、のんびりしてる恋人たち、パソコン開いて仕事してる人、武道の稽古をやってる人、飲み疲れて寝てる人、本を読んでる人などいろんな人の人生が垣間見えます。
それなりに人がいる割にはみんなそれぞれの世界に浸っているのでほとんど干渉がなく、自分ひとりの時間を過ごすのに困ることはありません。
最後の川は会社に入ってから住んでた家の近くの川です。この川の思い出はダイエットのためのジョギングです。週末の朝、一生懸命走ってたことを思い出します。川下に向かって決まった距離を走って、帰りは走らずに元の場所まで歩いていたのですが、帰りは川を眺めながら仕事、生活、人生のその時々の悩みについて考えてました。
※ダイエットのはなしも前に記事にしたので、興味があれば読んでみてください。
川をみながら思うこと
川の景色の好きなところは、時々刻々と姿が変わることです。水の流れが全く同じになることがなく、ずっとみていられます。そういえば、子供の頃そのことに急に気づいて1人でものすごくびっくりしていた記憶があります‥もうひとつは音があることです。水の流れる音がただただ僕の心を癒してくれます。山や砂漠など他の自然の景色も大好きなのですが、川が一番好きなのは常に変わる水の流れや音が楽しめるからです。
思い出の川に行けば当時の自分が思い出されます。今の僕と比較すると、その時とは全く違う考えの人間のように思えます。川に行くたびにその成長(ただの変化かもしれません)に我ながら驚きます。その当時の悩みに、今の僕ならもっと上手く対処できたんだろうなと感じることが多いです。というより同じことに悩みさえしない気がします。そもそも大事に思っていることが全然違うからです。
それはその時に悩んだ時間があってこそ今の自分があるのかもしれません。でも一番は当時より世の中はもっと広いと知ったことによると思います。
子供の頃というのは、学校がこの世のほとんどのように感じていて、勉強や部活、学校生活のことに悩んでいました。田舎だったのでクラス替えがないほど生徒数も少なく、コミュニティに変化もほとんどありませんでした。でも大学で京都の街に出て、学生なりに複数のコミュニティで過ごすことになり、その中の価値観に自分に合うもの、合わないものがあるんだということを学べたように思います。それからもどんどん自分の価値観が変わっていって、結局、学生時代を一緒に過ごした人の中で今も繋がりがあるのは一握りの人だけです。
学生生活が終わって会社に入れば、年代も出身もバラバラの人たちに触れて、世代や育ちの違いでこうも人は考えが違うのかということを学びました。また、他社交流の機会が増えた時には同じ業界でも会社が違えば全く文化が異なることもわかりました。その後さらにアメリカに来て日本と全く違う文化の中で暮らしてから、日本の社会でやかましく言われていたことの大半は大した話ではないように思い始めています。
あの思い出の川のある場所のどこかにとどまっていたなら、あるいは途中でそこに帰っていたなら、きっと僕は今も昔と同じような価値観を持って、同じようなことで悩んでいたんだと思います。
自分の世界観が広がれば、今自分のいる場所やそこでの価値観が世界のほんの一部分に過ぎないと知れたなら、ずいぶん生きやすくなると思います。
田舎から出てみよう、関西から出てみよう、日本から出てみようと思って人生を進めてきて、その度に少し自分の世界観が広がっている気がしています。自分の考え方も変わっていますし、異なる価値観も柔軟に捉えられるようになってきたと思っています。今は1つの場所にとどまることに、もったいないという気持ちや、それにより考えが凝り固まってしまうことへの恐怖心があります。
今後のキャリアも機会を見つけてまた違う環境に身を置きたいと思っています。不思議なのは、田舎の川の前で昔に思いを馳せるとき、その頃の自分には全く想像してなかった人生を歩み、全く違う考えの人間になっているはずなのに、一方では昔からずっと望んでいた人生を歩んでいるような感覚があることです。