三国恋戦記の諸葛孔明における彼の言動の一考察


以下過分なるネタバレがあります。未プレイの方は要注意ください。



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三国恋戦記というゲームにおいて、孔明という存在が主人公である山田花に与えた影響の大きさは、プレイ済みの方からすると重々承知の事柄だと思われる。

現代から山中に飛ばされた主人公(以下・花ちゃんと表記)が最初に出会い、行く道を示し、彼女が迷っている時に的確な助言を与えて成長を促す存在である。

過去に飛んだ花ちゃんと亮くんとの出会い、黄巾党を率いる道士様となった彼女の活躍と道半ばでの別れ……そして再会と、志を共に太平の世へと二人で進んでいく彼らの図は、胸をうつものがある。


この花ちゃんが過去から戻ってきて以降、師匠である孔明の乙女ゲーム的スチルが見られるようになった。膝枕やでこチュー、楊の木の下での名場面など……彼にとっては精いっぱいの甘いスチルが見られた。

しかしここで疑問点が一つある。孔明√の終盤、彼は花ちゃんを現代に戻そうとした。

「不思議な本を持った少女は自分の国に帰って幸せに暮らした」

「そこまでがボクが読み取った運命だから」

そう言って彼は自ら幕を引こうとした。


師匠としての孔明は花ちゃんをもとの世界に帰すことを第一とし、君主である玄徳に彼女の登用を諦めてほしいと懇願していた。

ゲーム内での彼の親密度MAXボイスは「彼女の幸せを願っているよ」であった。

彼は長年の初恋をも諦め、自分のエゴではなく、ただ花ちゃんにとっての幸せのみを追求しようとしたのである。





………でもそうなると、師匠がでこチューしたり膝枕したり手をつないだりするのズルくない!?「君には関係ない」って突き放したりしてるけど、それならそもそもするなよ!!!と……

花ちゃんそのせいで、師匠の事が好きなんだって気づいちゃったじゃない!!!と……


この件は当初、私の解釈では

長年の想い人の事が大切すぎて、彼女の足かせにはなりたくないと思う反面、心の中にある”彼女への愛”が溢れ出て抑えきれなかった結果、何かと合理的な理由を付けて自らと彼女をごまかしながら咄嗟に出てしまった行動なのだろうか、と考えていた。

しかしそうなると彼の鋼のような超自我はどこからくるのか、長年の疑問であった。








ここで話は変わって、山田花が黄巾党時代に呼ばれていた「道士様」という存在について紐解いていきたいと思う。

正確な文献等を当たっていないのでリサーチが足りず解釈違いであったのなら申し訳ないが、「道士」という存在はwikipediaによると「仙人になるために修行をする者」がその呼び名でよばれるらしい。

仙術をあやつり不老不死を目的とし修行に励んでいたそうだ。呂尚や諸葛亮なども仙術を習得していたと、ここには記されている。そしてその仙人になるため必要だったのが「道教」であった。



では道教とは何か。これはWikipediaからの引用を下記に示す。

『中心概念の道(タオ)とは宇宙と人生の根源的な不滅の真理を指す。道の字は辶(しんにょう)が終わりを、首が始まりを示し、道の字自体が太極にもある二元論的要素を表している。この道(タオ)と一体となる修行のために錬丹術を用いて、不老不死の霊薬、丹を錬り、仙人となることを究極の理想とする。それはひとつの道に成ろうとしている。』

道教では、道は学ぶことはできるが教えることはできないと言われる。言葉で言い表すことのできる道は真の道ではないとされ、道士の書物や言葉は道を指し示すものに過ぎず、真の「恒常不変の道」は各自が自分自身で見出さなくてはならないとされている。

以上のことから察するに、「道士」は人々に行く道を示す存在であると共に、仙人へと昇華するための途中でもあるのだ。また、拳法を通じて「気」を整え精神の安定を図り、「無為を成す」ことも道への接近に有効であるとのことである。





ここまで調べて、三国恋戦記における孔明も「気」を理由におまじないと言って、でこチューしていたなという事を思い出した。

また、「道は見つかった?」という彼の序盤の問いかけ、弟子を導く役割を担う彼の姿から、恐らく彼も道教に帰依しているのだろうと考えられる。


これらを踏まえた上で、勝手に諸葛亮孔明という人物を見立ててみた。



孔明は幼少期、不思議な本を持つ少女と出会った。彼女は皆から「道士様」と呼ばれ、亮自身にも人生の指針となる「道」を示した。

道士様は光と共に消えてしまったが、彼女が掲げた「戦を無くす」という道を亮も進むことで、彼女に追いつこうとしたのである。

勉学に励み、仙術や気も修めて知見を広げ、師と同じく道教を尊び、再び会えることを夢にみていた。

しかし、彼の師である花ちゃんは道教を修めた道士ではない。仙女でもない。ただの不思議な本を持っただけの少女であった。

それを知った時の衝撃たるや、如何許りであっただろうか。


そして彼は彼女に道を示すことにした。それは師である彼女から教えてもらった道教の根幹であるからだ。

彼女は違う世界の道を歩んできた事、その道の”始まりから終わりまで”導く事こそが、自分の使命だと感じたのであろう。


しかし亮としてかつて会っていた頃の彼女を見て、彼の中にある長年温めてきた恋心(と言うには大きすぎる想い)が抑えきれなくなる。

師の教えから反していると思いながらも、彼自身は花ちゃんを求めていた。そしてそれによって、彼女は孔明への恋心を自覚するようなる。


仙女であると思っていた彼女はただの人で、仙人を目指していた彼もただの人と為ったのだ。


諸葛 亮 孔明 にとって、エンディング後の彼女と共に過ごす幸せな日々は、師の教えに反した罰でもあるのだ。

支えあわねば生きていけないような「人」に、彼は堕ちたのであった。




上記のように考えて、10年間感じていた違和感がするっと抜け落ちていった。何を理由にあそこまでの強固な超自我になったのか、どうしてそこまで彼女の幸せを追求していたのか……

以上が個人的な彼と、彼女の物語への解釈である。


最後に諸葛孔明の伝説の一つを以下にリンクとして貼ったので、お時間のある方は見ていただけたら幸いである。


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