小説を書くのは「精神のウンコ」みたいなものです
下品なタイトルですみません。
となり駅の総合病院に入院中の妻と次男は、いよいよ明日に退院。わんぱく坊主の長男は、今日は保育園に朝から登園。で、ぼくは、同じく朝から在宅ワークをしています。
創業数年のベンチャー企業に、大型連休なぞというものはないのです……
在宅ワークと言いつつ、自宅だと本とかギターとかゲームとか、とにかく誘惑が多すぎるのと、どういうわけかwi-fiの接続がイマイチで仕事が全然はかどらないので、パソコン抱えて近所のカフェへ。やっぱり多少ざわついてて人が行き来する場所のほうが、かえって集中できるというもの。
ただ、結局仕事もすぐに飽きちゃう。それで、(個人的にはこっちが本業だと勝手に思っている)小説を書き進めたり、つれづれなるまま随筆を綴ってみたり、とにかく何かをものす作業をつい始めてしまう。で、結局そっちに没頭してしまうというわけです。
そうして気づけば夕方5時すぎ。今日も全然仕事しなかったな……と思いつつ、こんなペースでも一極集中すれば仕事はこなせるもの。定時なんて概念はしょせんは昔の誰かが思いつきか何かで決めたものに違いないので、そんなもんに罪悪感を覚えたりせず、ゆうゆうと、数時間の集中労働で済ませればいい。と、思います。
それで、暇だったので、なんとなく、コーヒーを飲みながらぼけーっと「どうして小説なんてものを書くのかな自分は」と考えてみました。
小説なんて、ノウハウ要素のつまったビジネス記事などと違い、誰の役にも立たないし、読むのに時間もかかるし、もちろん書くのも簡単ではないし、下手をすると一作に数年かかったりするし(自分ももうある作品を2年以上書いてます)、この時代小説家なんてまったく不遇で金にもならないし……
と、これっぽっちもいいことが浮かばない。書く理由が、見つからない。
でも同時に、これだけ悪辣としたことばかり挙げつらってみて、ふと、「なぜ小説なんてものを書くのか」のひとつの答えが浮かび上がってきた気がしたんです。
それが、心の排泄。
精神のウンコということですね。
要するに、書かずにいられない。書かなければやっていけない。
めちゃくちゃ大げさに言えば、書かないと生きていけないということ。
書かない状態というのはまさに便秘みたいなもので、だんだんと、精神が重たく不快な感覚に陥ってくるわけです。
それがあまりに過ぎると、本当にどうしようもなく苛立ってきて、事実ぼくは(たぶん)書けないことに起因して仕事でミスをしたり家族に八つ当たりしたりしてしまうことがあります。
逆に、どんなに忙しくても、小説を少しでも書き進められれば心は安定して、気持ちは満たされるんですね。
これを心の排泄と言わずして何というのか。
ということで、今日もこれから精神と時の部屋、もとい、精神の便所にこもって、スッキリしてこようと思います。
下品ネタ、どうかご寛容のほど。
※せっかくnoteに書いたので、いちおう作品自薦させてもらいます。めちゃくちゃ暇だ、という方のみお読みください → 神谷ボコの作品