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何もしない、はむずかしい

朝から駅前のレトロ喫茶に来ている。

パソコンはなんとなく出しづらい雰囲気で、文庫本も家に忘れてきた。スマホをいじっている客はほとんどいない。せっかくだからと、スマホをポケットにしまい、なにもせずのんびり過ごしてみようと決めた。

決めて2分ともたず、ほとんど無意識にスマホを取り出し眺めている。

こりゃいかん。スマホを置く。

こんどはカバンからノートを出す。ページに挟んであるボールペンをにぎり、浮かんだことをなんとなく綴る。いまと未来への不安、おのれへの迷いばかりが書き出されていく。

また気づく。いかんいかん。ノートを閉じる、ペンを置く。

銅製のコーヒーカップを見る。カップには細かい水滴がびっしりついている。水滴のひとつがわずかに膨らんで垂れ、下につづくしずくを飲み込んで一気に流れ落ちる。跡にはつるりとした銅のなめらかな表面。指をのべてみる。ひんやりして、何をしてるのかな俺は、と思う。

ストローからコーヒーを飲む。腹部が甘さを欲してる気がしてシロップを注ぐ。入れすぎて、コーヒーがひどく甘ったるくなった。苦味はほぼ消え失せて、過剰な甘さを排除する方法はない。

隣席の老人が新しいたばこをくわえる。動作は緩慢だが、店の雰囲気には馴染んで見える。緩慢は悪ではない。それが合う場もまだ残されている。

などという何の意味もないことを、スマホでポツポツと打ちつづけている。

なにもしないのはむずかしい。なにもしないと、自分と向き合うしかない。それはしんどい作業になる。でも大切な時間だ。インプットやアウトプットより、はるかに尊い時間のはずだ。

何もせずいられる人になりたい。

なにかを求めず、ただのんびり、居眠りに逃げるでもなく、自然体で無為にすごせるのんきさを持つ人間でありたい。

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ミウラジュン
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