「目的のためなら手段は選ばない」ヤツはかっこいい
かなり前にブログで一度書いたのだが、マンガ『喧嘩稼業』が本当におもしろい。今日、息子と散歩中に立ち寄った本屋でたまたま最新10巻が出ていることを知り、慌てて購入してさきほど読んだ。魂が震えた。
本作は、かつて週刊少年ジャンプで『幕張』というギャグ漫画を描いていた木多康昭氏の作品。
タイトルからだいたいわかるとおり「格闘モノ」だ。格闘漫画といえば、「刃牙(バキ)」シリーズが一番のメジャーどころ。折りしも来週で最終回を迎えるとかなんとか言われているけれども、10年以上前に爆発的人気を誇り、そこから最後までほとんど勢い衰えず走りきったことには素直に感嘆する。
ただ、(ぼくもいちファンなので貶めるつもりはないのだが)「刃牙」シリーズはけっこう、いや相当に、「理屈は無視、要は筋肉と才能がすべてなのです」みたいなノリなので、爽快な勢いはもちろん面白いのだけど、なんというか、「二度読み」したい面白さとは違う感覚がある。
一方この『喧嘩稼業』およびシリーズ前作にあたる『喧嘩商売』は、何度でも読み返したくなる作品だ。
実際、我が家リビングのテーブルにはぼくのお気に入り書籍が常に3〜4冊置かれているのだが、「喧嘩シリーズ」は安定のレギュラー入り。早朝や夕食後のちょっとした空き時間に手にとっては、冒頭のとおり魂をがしがし揺さぶられている。
で、何がそんなに面白いのかというと……
「喧嘩」じゃないのだ、コレ。
権謀術数が果てなく飛び交う、「究極の騙し合い」なのである。
本作の主人公は、めっぽう喧嘩の強い高校生・佐藤ジューベイ。地元では敵なしの最強高校生なのだけど、作中キャラのなかではまったくもって最強ではない。
どちらかというと最弱。他のキャラが強すぎるからだ。空手日本一の同級生、武術家くずれのヤクザ、元柔道オリンピック日本代表の総合格闘家……などなど。(と、今あげた面々でさえ作中ではモブキャラ扱いであるから恐ろしい)
こんな無理ゲー的環境にもかかわらず、ジューベイは目の前の強敵を着実に打ち倒していく。どうやって? 殴り合い・蹴り合いの勝負がいざ始まるその前から周到に「仕込んでおいた」数々の罠や仕掛けによってである。
“純粋な技術や身体能力では自分のほうが下。まともな勝負ではどうあがいても勝てない”と、ジューベイは冷徹に自身と相手の力量差を分析する。
それでも絶対に勝ちたい。絶対に相手を倒したい。その「目的」がこれ以上ないほど純化されているので、どう勝つか、という手段にはまったく頓着しない。この無頓着ぶりが徹底していて、それはもう、気持ちいいというか清々しいほどの領域に達している。
試合前の心理的揺さぶりに始まり、相手に下剤を飲ませようとしたり、敵方のセコンドに裏切りを促したり、ドーピング剤を入手しようとしたり、果ては第三者をけしかけて対戦相手を襲わせようとしたり……
とにかく手段を選ばない。スポーツマンシップのかけらもない。そしてそんなスタンスなのは彼だけじゃない。
登場する大半の格闘技者たちは、程度の差はあれ、実際に拳を交わすリングの上だけでなく、そこに至るまでに、いかに相手を弱らせあわよくば戦闘不能にするか、を真剣に考えている。春の高校選抜で汗と涙を流していた純真無垢な球児らに見せたら卒倒されそうな汚さである。
けれど、だからがゆえに、この漫画はリアルだ。ジューベイたちは栄誉や賞賛を求めてるわけじゃない。勝負に勝ちたい、それだけなのだ。
最後まで立っていた者が勝ち。倒れたほうは、どんな理由があろうと負け。そういう世界なのである。
それがいいか悪いかは別にして、そのリアルさが、読んでいてものすごく生々しい。
生々しく、熱く、ときどき空恐ろしくもあるのだけど、「そこまで勝ちに執着するのか!」という驚きと、気づけば感動まで覚えている自分がいる。
ぼくはものぐさで自分に甘い人間であるので、「結果よりもやり方にこだわりたい」「周りから批判されるような進め方はすべきでない」などという言い訳をつい己に許してしまうことがある。
そういう類の者からすると、非難や反発などいっさい気にとめず、考えうるあらゆる手段を自己の目的のために徹底的に行使しようとする彼らの姿勢は、欲求に忠実な生(き)のままの人間を眺めているようで、ただただ清々しく、美しく、そして最高にかっこいい。
自分に正直な人間は、それだけで、問答無用で魅力的なのだ。