青山学院大学WSD32期を終えて
2019年9月から12月初旬にかけて、青山学院大学のワークショップデザイナー32期を受講しました。
人材育成や教育・研修事業の分野で仕事をし、学習とか育成を常にテーマにしてきた私が、なぜ今ワークショップを一から学ぼうと思ったのか?
お客様の紹介や尊敬する人が受講していたことなどの要因もありますが、背景には大きな2つの問いがあったと思っています。
1つは、今後の「しなやかな変化・変革、共創」が求められる社会において、日本人の多くが、変革や変化を「危機感」から起こそうとするが、危機感ではなく、「楽しい」とか「こうありたい」といったポジティブな感情から起こせないものなのか?という私の中での問い。
もう1つは「感性」「感情」「自分らしさ」の解放。感性や感情を内に秘めて、外に出さずに働く/生きるではなく、私たちの本来持つ豊かな感性、感情をむしろ武器として仕事ができないものか?
素晴らしいものを素晴らしいといい、美しいものを求め、おかしなことにちゃんとおかしいと感じながら働くためには?という問い。
ここに一石を投じるための手法になりうるものとして、ワークショップによる学習、という部分に注目しました。
多くの学びがあり、受講してよかったと心から思えますが、特に気づいてよかった、と心から思うのは、自分の中で「学習・学び」のハードルを上げすぎていたのかも?と思えたこと。
内山厳さんから「そんなワークを最初から誰でもできると思ってはいけない」と指摘を受けたり(誰にでもできるレベルでしょ、と思っていた)、カーリーが「自明性」を何度も話すたびに、何かとてつもなく大きな自明性への気づきを期待してします自分がいたり。
WSDでいう自明性って、小さな気づきで良いということだと思うんですね。
「ああ、私、意外と自分の意見を周りに出せていないかも」とか
「これがあるべき」っていうものの見方が強いんだな、とか
良くわからない抽象的な問いかけはあまり好きじゃないな、とか
それに気づいてどうするの?って部分はあまり考えずに、そういう気づきの積み重ねから、自然と学んだり、行動が変わっていくことがある。
大きく人生観や仕事観を揺らすような「自明性」への気づき、そこからの脱却をついつい求めてしまう自分に気づいたのが大きな収穫でした。
感性で生きるって、小さく感じる「これはちょっとおかしい」とか「これは美しい」とか、そういう機微に触れながら、それを表明していくことだと思います。
学びや気づきといったものも、大それたものであったり、賢そうなことを言わせたいわけではなく、その人なりの小さな学びの連続が、やがて大きな成長に導いたり、大きなアウトプットへつながるんだろうと思い始めました。
そういう意味で、人に大きな気づきを与えたい、と思う自分自身がある意味傲慢だったのだと思います。
こんなところが私の気づきであり、学習支援をする新たな自分を創る第一歩になったなと、改めて思っています。
共に学んだ皆様、支援いただいた関係者の皆様、ありがとうございました!