シフォンケーキはいかがですか?(道東の学校の冬の体育)
道東の冬はとてつもなく寒い。この寒さの中で先住民であるアイヌの人たちはどうやって生き延びたのか想像がつかないほどめちゃ寒い。髪を洗ったままで外に出ると30秒で氷つくし、タオルを外に干して取り入れるのを忘れたりしたら翌日パリパリになってる。我が家では外でアイスクリームを作るのが冬のひとつの楽しみでもあった(そのかわり飼い犬に食べられてしまったこともしばしばあったが、、、。)。とにかくそんなわけで学校の冬の体育が毎回スケートだったというのも納得がいくのだが、子供の時はやはり「何で〜!」と不満たらたらだった。
グランドに雪がある程度積もるとPTAのお父さん、お母さんが集まってスケートリンク作りの基礎工事が始まる。そのあとはほとんど毎日先生方がホースで水をまき、その上を子供たちが横一列になって踏み固めていく。それを何度も繰り返すとグランドがスケートリンクに 変わるのです。テレビなんかで屋内リンクで楽しそうにスケートしている人たちはよく見ますが、外のリンクでスピードスケートというのはちょっと事情が異なります。まず、とにかく寒い!足もても冷たくなる!冷たすぎて痛くなる!もう楽しむどころではなくなるのです。しかもスピードスケートというだけあってフォームをめちゃくちゃ厳しく直される。やれ腰を低くしろとか手をもっと振れとか、子供であっても身体中ギスギスしてくるのです。
そんな辛いだけのスケートだったけど、やはり小学校に入って新しい自分のスケート靴を買ってもらったときは妙に嬉しかった。町に一つしかないスポーツ品店で赤いスケート靴を買ってもらった。それを入れるバックも赤と白の女の子らしいもの。もののない時代だっただけに、その時々で買ってもらったものを今でもよく覚えている。大っ嫌いなスケートだったけど、赤いスケート靴には愛着があって、手入れだけはよくしていた。
20年後にアメリカにきて、日本人の友達と屋内スケート場でフィギュアスケートを楽しむ機会があった。そのときわたしの滑りを見た友達に、「フォームがスピードスケートになってるんだけど、、、。」と指摘された。体に染み込んだ記憶というのは恐るべきものです。