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☆はじめに☆


色々とメンタルが低下する事が続き、特にX(Twitter)は眺めてると精神的によろしくないと思いX断ちをしております。
メンタルの低下の理由は多々あるのですが、さユりさんのご逝去であったり、その後にXで話題になっていたタレントのDV音声など…これ以外にも弱っている時に目に入れるものでは無い事がX(Twitter)には溢れていて、もはや私の好きだったTwitterは無くなってしまったな…と言う気持ち…。
X(Twitter)でチョロっと書きましたが、心が弱っている時あるあるなんだと思うのですが、生と死について考え込む事が増えてしまうのは仕方ないのかな?と思いつつ筆(?)をとってみました。

ただあくまでも私個人の思想であって、他人に強要・強制するものでは無い事。
またこれを読んだ事で、私の思っている事とは違う受け取り方をされると困るな…とは思うので、深く捉えすぎずサラッと読んでいただければなと思います。

☆悩み多き10代に辿り着いた事☆

苦労の無い人生なんて無いと思っている。
ご多分にもれず、私もそれなりに苦労した10代だったと思っている。
親の離婚・生まれ育った福岡から千葉への引越し・親のアレコレによる勉強の遅れ・言葉(方言)の壁・クラスメイトからのイジメ・親戚からのイジメ・2度目の転校・再びイジメなどなど、10歳からの人生はわりと逆境しかなかったように思う。
もちろん世の中には私なんかよりも物凄い逆境の中で生き抜いている人もいるのは理解しているけれど、何が辛いか?は当事者になってみないと永遠に理解出来ない事だと思うので、この時の私は私の基準の中でどん底でした。
1つずつ書くと長編小説になってしまう為に全てを書くことは無いですが小4〜中3くらいまでが、私の人生で言う暗黒期。
多分みんなそうだと思うんだけど、辛いことがあると「死にたいな」と思うと思う。

でも私は生きている。

よく「自分が生まれてきた意味は?」などと、自分が生まれて来た事に意味を持たせたがる人がいる。
「意味」これを突き詰めようと思うと決して答えなんて出ないと思う。
私が10代の時に導き出した答えは「生まれて来た意味なんて無い」だった。

人はこの地球に生息している生物の1種で
ただ生まれてきて子孫を残し死ぬ
ただそれだけ

まさに中二病らしい答えである。(思い当たったのは小学生の時だけど)
だけど、なんだー意味無いんだったら今辛いし苦しいし死んでもいいね!とならなかったにはわけがある。

☆縁(えん)☆

 生きている意味なんて無い
に辿り着きながらも、今も生きながらえているのは「縁」に助けられている部分が多い。
 福岡から千葉への転校と祖母宅からの引越しによる転校
あまり良い理由では無い転校を2度している私は「人生にはどんなに努力しても抗えない運命がある」と言う事を悟ったおかげで、わりと明るかった性格は、誰とも話さないし話したくないとどんより暗い性格に。
良くイジメられる方にも悪い所があるなんて暴論を吐く人が叩かれているが、私に対するイジメだけは違う。
いや本当にこんな暗いヤツ「なんだコイツ?」って思われても仕方ないなとさえも今では思う。
一つだけ言い訳させて貰うと、だってみんながキャッキャ子供らしく楽しんでいる時にこっちは「生きる理由」なんて事を真剣に考えてるんですよ?話し合うわけないじゃない…。

そんな親にも言えない胸の内を、考える事でヒマを潰していた10〜12歳。(友達もいないしねー!)
楽しみだったのは読書。
読書は良い、元から本好きだった事もあって月のお小遣いはほぼ全て本に費やしていた。
私の知らない世界・私の知らない職業・私の知らない思想・私の知らない…子供である私に、友達のいなかった私に「こういう世界もあるんだよ」を示してくれたのは文筆業の先生方でした。
こういう作品との出会いも「縁」であると私は思っていて、先生方からは私は一読者でしか無いのですが、作品の中に出てくる場所や文字から伝わるイメージだけで「ここにいつか【大人になったら】行ってみたいな」と思わせる力があった。

そして今Netflix「極悪女王」も話題になっていますが、女子プロレスが好きでした。
そうクラッシュギャルズが楽しみ、小学生だった事も有り見に行けたのは2度だけでしたがクラッシュギャルズ、ライオネス飛鳥さんと長与千種さんはこの時代の私のヒーロー(ヒロイン)でした。
クラッシュギャルズが大好きだったけど、この話題で盛り上がれる友達なんかいないと思っていた所で親友との出会いがあります。

クラスは別々、登校時間も違うしまるで接点0なんですけど、クラスで「やる人いないから」で押し付けられた保健委員としての会合(?)でたまたま席が隣同士になっただけの2人。
死んだ魚の目でぼんやりと教壇に立つ先生方の話をボーッと見てる(聞いてはいない)視線を外した時に、親友の持っているクラッシュギャルズのグッズが目にとまり
「クラッシュギャルズ…好きなの?」
と、どちらともなく話した事がきっかけ。
しかも、私の推しは飛鳥さんだけど親友の推しは千種さんと幸運にも推し違い。
2度目の転校で心を完全に閉ざしてた私は1日に喋る言語が両手で数えられるくらい無口だったんですけど、この日は1年分くらい話したんじゃないかな?(笑)
ここで、2度目の転校での友達が出来ました。
共通の話題と言うのが最初は大きかったのですが、親友が穏やかで思いやりがあって人の心の痛みにソッと寄り添ってくれるあたたかな性格だった事も大きいと思う。
特に「こんな事考えてるよ」「死にたいと思ってるよ」と話した事は無いんだけど、弱ってる時にただならぬ様子を察して多くは聞かずにだけど寄り添ってくれる。 
きっとそんな人、人生の中でいくら探してもなかなか見つからないものだと思う。
親友がそういう人なのだから、私も親友の助けになりたいし寄り添える人間でありたいと思考が良い方向に働き出したのもこの頃でした。
辛い・悲しい記憶は消せなくても、今日を紡ぐための楽しさを生み出す事は出来る。
楽しさを生み出せる人になりたいと。
この、親友との縁が結べた事が私の死生観を少しだけかえました。
生まれて来た事に意味は無いし、どうにも抗えない運命と言うものはあるけれど、人との出会いは少しのアクションで繋がるものであると。
もちろん良い出会いもあればそうでないものもあるけれど、やらないよりはやった方が良いのでは無いか?に変化して行ったのでした。

☆縁(よすが)☆

 私が生まれた時、死産でした。
正確に言うと仮死状態が長かったと聞いています。
三日三晩陣痛で苦しんで、やっと生まれた私が泣かない。
時代的に、まだ今ほど医療が発達していない昭和の話です。
仮死状態の赤子の鼻掃除・口の中の掃除(気管の掃除の事かな)をしても泣かない。
産婦人科の先生が、私を逆さまに持ち上げお湯と水の入った容器に突っ込んで刺激を与えるも泣かない。
ついには先生は分娩室から出ていってしまったと聞いています。
 母は流産の経験を何度もしており、諦めきれず近くにいた看護師さんに「私がやります、子供を」と泣きながら訴えたそうです。
看護師さんも妊娠中で、母の気持ちが痛い程わかるのか母の代わりに諦めず何度も何度も水とお湯に漬けて、鼻の掃除にマッサージと色々な刺激を与えてくれたんだそう。
そしてようやく私が「…………ほぇ」と言葉を発したとの事。
出産してから30分は経過していたそう。
先生だけだったら死産として私の人生は歩み出せなかったであろうと、私が生まれた時の話をどれだけ嬉しかったかを耳にタコが出来る程に聞いて育ってきました。

先程の縁(えん)の話にも繋がりますが、出産した産院に妊婦だった看護師さんがいて、母の気持ちを汲み取って蘇生する為に力を尽くしてくれなければ私は今ここに存在していないと言う事、私を助ける為に朝方4時まで頑張ってくれた方々がいると言う事。
本当にご縁だと思うんですよね。

そんな想いで産んでくれた母の、人生の縁(よすが)は誰が聞いても私しかいないわけです。

この「あなたが生まれた時」の話は、全てのお母さんお父さんは子供に何度も何度も語った方が良いと思います。
安産でも難産でも「あなたが生まれた日はこんな日でそして嬉しかった」と耳にタコが出来るまで。

この耳タコ出産話は私が生きる上での抑止力にもなってる部分が有り、それなりに年頃になった時の悪い誘惑などもフッと母の泣き顔が目に浮かぶが為に手を出さないと言う事が多かったと思う。
外部からの悪い誘惑もあれば、仕事とは言えこんな時間に夜中まで働いてたらお母さん心配しちゃうな!帰りは近いけどタクシーで帰るかっ!おっと!その前に電話1本入れとくかってな事まで様々。
「なるべく母を泣かさない」をモットーに生きて来たしこれからもそうしたいと思ってる。
母の人生の中で私と言う存在が縁(よすが)になっている事は、ヒシヒシと伝わってくるし、離婚も転校も全ては私の為。
母は全身全霊で私を守って育てている。

もしも
私がいなくなったら?

確実に母もいなくなるだろう
を肌で痛い程感じている私は、あ〜辛いな〜死んじゃおうかなと思っても実行に移す事は出来ない。
耳タコ出産話が自死への抑止力にもなってる…なってしまってる。

母が生きている間はそれは無理かもな…
  

……だったが私にも縁(よすが)と言えるべき存在が出来てしまった。
そう、息子です。
母ほどでは無いが、私も難産でようやく生まれた大切な私の子供。
結婚・妊娠・出産を経て、うちのお母さんの愛情…ちょっと重すぎるんだよな(   ´∀`)ハハハと思っていたけど、そりゃ重くなりますわ!ってくらい子供は可愛い。
全身全霊で愛して守るべき存在が出来た今、死ぬ訳にはいかない。

縁(よすが)
よすがとは「心の拠り所」と言う意味を持っています。
これは人だけでは無くて、愛するペットや様々な芸術作品など「生きていく上で頼りにしているもの」と言う意味を持ちます。

不器用な母と私は縁(よすが)にしているものが子供だけ…なので、本当はもっとたくさん縁(よすが)を作らないといけないなと反省する所でもあります。
 ネット上で何度も似たような事が話題になった事があるので目にした方も多いかと思いますが「配偶者の大切なものを勝手に捨ててしまう」と言う行動が私は1番人として軽蔑してしまいます。
人には縁(よすが)が必要だと考えている私には、○人と同等の意味を持つ行為だと思ってしまうんですよね…。
 
ちょっと話が逸れました、話を元に戻しますが縁(よすが)がある為にどれだけメンタルが弱っても恐らく私はその行動に出る事は今の所無いのかなと思います。

☆縁(えにし)☆


夫との出会いは、夫が友人の会社の後輩だった事がきっかけでした。
その頃の私は「天職!」とすら思っていた仕事を辞めてのんびりダラダラと無職生活をEnjoyしている時でした。
暇だった私は友人を誘いカラオケへ〜その友人が
「うちの会社にさ、焚き火の前でナイフでハムを切ってハムをナイフに突き刺したまま炙って食べてそうな男の子がいるんだけど呼んで良い?」
と、言ってきた為「なんだその例えは!?」と思いつつOK出したのを思い出します。
 到着した男の子は確かに「ナイフでハム切って炙ってそう」な感じではありましたが、とても温和でニコニコしていて話していても楽だし最初は友達な感じでスタート。
あれよあれよという間に交際したのです(まんまと友人にアテンドされた気はするけども)

実はお互い結婚願望は0でした。
結婚する気はお互い無かった、ただし私が結婚を視野に入れる可能性が出てきた時にはお別れするしかないねと言う交際ではありましたし、そういう話し合いはしている上での交際。
それでも、今まで交際してきた方たちよりも1番優しいし落ち着くし私が私らしくいられる事が何よりも驚きでしたし、そして誰よりも私を好きでいてくれる男性な事は間違いなく。

私が無職でなければ会う事も無かった。
彼がたまたま成田に来ていなければ会う事も無かった。
友人と友人になってなければ彼に繋がる事は無かった。
会った時に遠いどこかで会った事のあるような懐かしさを感じた男性は彼だけだった。

交際中の2人の話し合いでは、私が「結婚したいな」となった時にはお別れする事でほぼ話は決まっていたのですが、正直に言うとそんな話をしていながらも、漠然と

なんだか懐かしいような…?
なんだかわからないけど
なんとなく結婚するような気がする

と、感じたままの交際ではありました。
輪廻転生というものがあるのならば、この懐かしさは遠い昔の記憶なのだろうか?
遠い縁(えにし)を感じるような…?不思議
等と思っていたのですが交際から1年であれよあれよという間に、何となく結婚し今年で結婚25年目の銀婚式を迎えました。

出会ってからの26年間
変わらずずっと優しく真面目で家族想いな男性のまま、また輪廻転生と言うものがあるのならば、きっと来世も夫と出会い結婚するのだろうな?と感じています。

この深い縁(えにし)を感じたのはこれまでの人生では夫だけ。

私は私が夫より先に逝く事を想像出来ないですしそれが恐ろしいと漠然と感じていて、元々体は丈夫では無いし持病もいくつか有りますが(先日、持病が1つ増えてしまった…トホホ)、体のメンテナンスをしっかり行いながら長生きしたいなと考えるようになりました。

☆最期は☆

縁(えん)
縁(よすが)
縁(えにし)

色々な縁で生かされてる私。
私が特別に大切に思っている、私の人生に彩りを添えてくれた4人についてnoteには書きましたが、今まで出会って来た方々との結び付きも当然自分の人生に影響があるものだと感じています。

このnoteのトップ画像は「梅結び」と言う結び方で、人と人との縁・絆を表してる結び方。
 慶事の水引に使われたりしてます。
人生も同じで色々な縁による結び付きが複雑に絡み合って、つい弱音を吐いてしまう時もありますが生き長らえている部分なのでは無いかな?と感じています。

今まで、自分の最期は「老衰でポックリ逝きたいね」と考えていましたが、最近ではそれも考え方が変わってきました。
病気で最低3ヶ月程の「家族や周りの方々が覚悟する時間」を作って逝けたらと言うのが私の理想です。

自分の苦痛は耐えるから周りの苦痛を和らげる期間が欲しい。

年齢的にね、もう「死」が射程圏内なのですよ。
女性の平均寿命は約87歳なんだそうです。
今まで生きてきた年数よりも、終わりを迎える時の方が年数が近いのです。

まだまだ、持病とうまく付き合いながらバリバリ働きたいと思ってますがそろそろ終活も開始しないとな。

ご縁があって私のnoteのこの記事が目に留まった方で、もしも人生について深く考え込む状況であれば、ご自身にとっての「縁(えん、よすが、えにし)」は何か?ちょっと考えてみてくださいね。
「えにし」はなかなか感じにくいかもしれませんが、「えん」「よすが」はどなたにでもあるものでは無いでしょうか?

いや、いくら考えてもそんなものは見つからないなと言う方もいるかもしれませんが、逆にご自身が誰かの「えん、よすが、えにし」になっている事もあると思います。
周りを良く見渡して、どんな些細な縁でも生きる糧となれば幸いです。

生きていれば悲しみも痛みもたくさん経験するけれど、この先の未来の縁に出会える事を思えば、まだ見ぬ未来が楽しみ。


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