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母親という役割について思うこと

🌟本記事の主語である母親は、子どもを産んだ人を指すのではなく、
「子育てに一番密接に関わり、働きかけている人」を指します。我が家の場合は、わたし(母親)が該当するので、記事の主語は母親としています。
ゆえに「子育てに一番密接に関わり、働きかけている人物」が母親以外の人物であれば、本記事の「母親」をその人物に置き換えてお読みいただければと思います。
父親だったり、祖母だったり、祖父だったり、叔母だったり、叔父だったりね。

おはこんばんちは、ぺけぽんです🐸
わたしは2人の子ども(天使)と主人と4人で暮らしています。
長女は3歳半、次女は0歳3ヶ月です。

長女を出産後、産後鬱のような状態になり
長女が生後7ヶ月になるまでの記憶がほとんどありません。

長女を妊娠してから、長女が2歳くらいになるまで
自分が何を好きだったのか、何に興味を抱いていたのか
すっかり忘れていて、自分って母親という役割を排除したら
何が残るんだろう?と身体が鉛のように沈んだ感覚に襲われました。

母親になった頃に転職活動をしたのですが
母親というだけで、これまで通過していた書類選考が全く通らないし
やっと通ったと思ったら、希望している職種ではなかったり
やっとの思いで転職を果たして安心していたら、母親というだけで仕事をもらえなかったり。
(今居る職場はそんなうんこみたいな状態はゼロで楽しく働いています笑)

育児に終わりもないし、家事にも終わりもない。
こだわればこだわるほど、向き合えば向き合うほど、
自分が1つ、また1つ、自分の意識の外で無くなっていく。
そんな生活を産後1年半ほど続けてきたところで、会社を実質クビになりました笑

そこで一念発起し、
「自分とはなんだ?」「何に心が動かされ、何に興味があるのか?」
「自分の使命ってなんだ?」といったアイデンティティーみたいなものを
キャリアコンサルタントの方に伴走していただきながら3ヶ月くらいかけて、
見つけました。というか掘り起こしました。

そして出会ったのが今所属している会社です。
仕事をしながら、自分のほんのちょっと大事にする生活を1年続けて
やっと、産前の自分を少しずつ取り戻してきました。
今も取り戻しの最中です。

わたしは「母親」というのは役割の1つだと思っています。
主人には「父親」という役割があり、
子どもたちには「子ども」という役割があると思っています。

この「母親」という役割は、何をするにも他者からの許可や協力が必要だと個人的に感じています。
例えば、夜に友人と飲みに行くにしても、
子どもたちを見てもらう人を見つけ、依頼し、なんなら子どもたちの晩ごはんをこしらえて、依頼者に頭を下げながら飲みに行く。
飲みに行っている間も、依頼者や子どもたちに後ろめたさを感じながら過ごす。

仕事だってそう。
子どもに頭を下げながら、後ろ髪を引かれながら、仕事に出かける。

でも、これっておかしくない?とある時思いました。

母親だって、飲みに行くし、仕事もしたい。
自分がやりたいことやって、何が悪い?
子どもやパートナーに迷惑をかけている?
迷惑ってなに?
自分がやりたこともやれずに、子どもやパートナーに寄り添い続ける人生もあるかもしれないけど、わたしは、自分がやりたいことをやりたい!!!!!!
そう思い、動き続けてきました。

結果、パートナーである主人からは、何も言われないし(むしろ働いている方が
イキイキしてていいね〜羨ましい!)と言われ、
家がゴッチャゴチャでも、我が天使たちは強くたくましく育ち、母も父も大好きで心の優しい子に育ってるし(お仕事ごっことかしてて胸熱になる)
結局、子どもって、親が幸せだと幸せなのでは?と自分の中で説が立つ。
この説の答え合わせは子どもたちが大きくなった数十年先になるだろうけど、
わたしは今からこの答え合わせが楽しみで仕方がない。

今日もわたしは、わたしがやりたいと思った道を選ぶ。

ここまで読んでいただき、ありがとうございましたm(_ _)m

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