キルンベルガーの調律法について思うこと その2
※引き続き長駄文注意
前回を振り返って
前回ではキルンベルガーの各調律法について、およびキルンベルガー第3の応用性について取り留めもなく述べた。プロフィールに調律はキルンベルガー派と書きつつ、第2の説明がやけにあっさりだったり第3をボロクソに言ってたりするのは目を瞑っていただきたい。
キルンベルガーの調律法は時代が下るにつれ純正律→ミーントーンへとその母体が変遷していく一方で、3種類すべてにおいて純正な3度音程へのこだわりを捨てなかったキルンベルガーの気質(テンペラメント)をひしひしと感じられるものとなっている。これは当時火花を散らしていたフリードリヒ・ヴィルヘルム・マールプルク(Friedrich Wilhelm Marpurg 1718-1795)とは真っ向から反する(マールプルクは平均律主義者)。
少し脱線するが、とある古楽関連のYoutubeチャンネルでは、マールプルクのことは取り上げるのにキルンベルガーは一切取り上げてくれない(もしかするとちょこっと取り上げてるかもしれないが未確認)。Das Wohltemperirte Clavierの表紙の調律法でLehman案を支持してたりヴァロッティを推してたりする時点でそういう派閥なんだろうし、キルンベルガーの主張は都合が悪いのだろう。解せぬ。解せぬ。
ちょこっと不満を述べたところで閑話休題。
第1はそのまま、第2は2等分、第3は「4等分」???
キルンベルガーの3種類の調律法を紹介した段階でもしかするとおやっと思った人がいるかもしれないし、既に知っていても疑問に思ったことがある人がいるかもしれない。それは
シントニックコンマを「3等分」したものがなぜ世に出ていないのか?
かく言う私も疑問に思った者の一人である。第1が純正律そのまま、第2がシントニックコンマを2等分となれば、第3はシントニックコンマ3等分で、4等分している現在のキルンベルガー第3は「キルンベルガー第4法」と称してもいいのではないか?その疑問について考える前に、そもそもシントニックコンマを3等分(以降S.C/3と表記)した音律がどんなものか述べる必要がある。
実はあんまりないシントニックコンマ3等分の音律
見出しで既に書いちゃった通り、S.C/3を用いた音律は数える程しかない。というのも、5度音程が狭く、それなりに唸ってしまうためである(694.786セント。S.C/4ミーントーンは696.578セント)。ではこの5度を用いて得られるものは何か。それは3つ重ねることで生み出される、純正な短3度音程である。
実は16世紀にはこの点に着目した人がいた。スペインのサリナス(Salinas 1513-1590)という音楽理論家である(出典;「中全音律」の世界 のNo.14に記載あり)。時代的にはS.C/4ミーントーンを考案したとされるアーロンよりも少し後に当たる。アーロンが長3度をなるべく多く純正にした一方でサリナスは短3度をなるべく多く純正にしようと、この5度を並べた音律を考案した。しかしこの音律だと長3度が純正音程より狭い379.145セントとなって具合が悪く、S.C/4よりウルフが広く悲惨なことになる他、純正短3度(6/5)は長3度(5/4)に比べて整数比が複雑で多少の狂いも許容されやすい点から、広まらなかったと考えられる。その後、この5度音程は著名なものではヴェルクマイスターのIVで使われるに留まっていた。
もしかしてキルンベルガーも……?
時は下り、1806年にスタンホープ(Charles Stanhope, 3rd Earl Stanhope 1753-1816)がG-D-A-Eにシントニックコンマを分割して、H-FisとEs-Bにスキスマを散らした音律を発表した。これが実にキルンベルガーの音律とよく似たものである。
上の画像は日本の純正律研究者が純正短3度音程を活かす目的で作ったものを図にしたものだが、スキスマがキルンベルガーのままであること以外はスタンホープと同一のものである(私は便宜的にこれをスタンホープと称して用いている)。
この音律の画期的なところは、短3度E-Gが純正であることに加え、5度C-G、E-Hが純正に取られていることで、純正な三和音が作られるところにある。そしてスキスマがFis-Cisにあれば、ピタゴラス音階も存在する。S.C/3の5度の響きに難こそあれど、Gの和音に限ればG-Hが純正なのでハ長調でも適用しやすく、キルンベルガー第2よりも多くの曲に対応しやすい。そして何よりの強みは、C-Gが純正なのでハ短調との相性がいいこと。多くの音律でべらぼうに濁る調性なので、Gの和音の音使いさえ間違わなければ絶大な効果を発揮する。
事実、ベートーヴェンのピアノソナタ「悲愴」やショパンのノクターンOp.9、ノクターンOp.72-1、エチュードOp.10-12、バラードOp.47、ブルクミュラーの25の練習曲の一部(特に11番、13番が個人的に好き)エルガーの愛の挨拶(ピアノ版)と、確認しただけでもこれだけの曲がこの音律でいい感じに鳴ってくれる。
無論この形の音律はキルンベルガー第2から容易に展開できるので、キルンベルガー本人も実際に調律して鳴らしたことは大いに考えられうるのだ。
なぜキルンベルガーは世に出さなかった……?
なのにこの形の音律は存命中に発表することはなかった。スタンホープが発表したのもキルンベルガー第3から27年も経ってからだった。キルンベルガーのスタンスからすれば十分発表されてもおかしくない内容なのに、である。本人からすればS.C/3が中途半端に聞こえたのか。けどそれだけでは動機としては弱いように感じる。当時は既に巷でこういった調律が行われていたのか、それとももっと別の理由があるのか?長年考えていたが、つい最近、こちらのツイートを拝見して「ありうる」と目から鱗が落ちた。是非ともスレッドまで読んでいただきたい。
大学で私が受講した西洋音楽史の講義で学んだことだが、キリスト教において、3は「三位一体」に代表されるように神聖な数字とみなされ、初期の宗教楽曲も3拍子系(6拍子)であった(4拍子は邪道扱い!)。バッハは宗教音楽家の一面もあり、キルンベルガーは彼を称賛していたことも考えると、あくまで推測ではあるが、忌避されるべきウルフを神聖な3で割ろうなど言語道断だからというのは自分の中で妙に腑に落ちてしまったのだ。これならキルンベルガーのスタンス的に好条件であっても、発表に至らないのは仕方ないよね……と思いに耽るのであった。あくまで推測だけどね。
おまけ
上述のスタンホープの音律(キルンベルガー型)をFシフトすると、ヴェルクマイスターIIIと類似の音律ができる。
実際に鳴らしてみると、ヴェルクマイスターよりも白鍵領域は純正律・ミーントーンに近く、黒鍵領域はよりピタゴリアンになるため、癖はかなり強い。オリジナルとFシフトの2種類を使い分ければ、結構多くの曲をカバーできてしまう。ヴェルクマイスターでもいいけどもう少し和声的な面を強調したい、やむなくロ長調、ロ短調を鳴らしたい場合なら使う価値はあると思われる。
Fシフトで合う曲はヴェルクマイスターで合う曲と被るものも多いので多くは載せないが、ベートーヴェンのピアノソナタ「月光」、ショパンのマズルカOp.6-1、マズルカOp.24-4、バラードOp.38、ノクターンOp.62-2、スケルツォOp.31辺りは試してみる価値は大いにあるかもしれない。