キルンベルガーの調律法について思うこと その1
※長駄文注意
J. S. バッハの弟子としてその名が知られているヨハン・フィリップ・キルンベルガー(Johann Philipp Kirnberger 1721-1783)。師事していたのは1739年から1741年の2年程らしいが(ゼロ・ビートの再発見より)、バッハを高く称賛していたという。調律法としては1766年のキルンベルガー第1法、1771年の第2法、1779年の第3法にその名を残している。これらはバッハが実際に用いていたものとも言われているようだが果たして。
著書「純正作曲の技法」にて詳しく書いてあるのは承知の上だが、いかんせん値段が張るため手元になく目を通せていない。調律もあくまでDTM上でScalaを用いて行われているものであるため、実際に鳴らした場合と幾分乖離する部分もあるかもしれないこと。内容中に出典が明らかでなかったり、推測による部分があること。以上の件を予めご容赦願いたい。
まずはそれぞれの調律法(音律)について、独断と偏見のオンパレードで説明する。
キルンベルガー第1法
実はあんまり知られてないこの音律。結論を言ってしまえば「使い勝手が悪い」。
構造は単純明快。白鍵はハ長調純正律、黒鍵はFis-Cis(本来はDesだが、純正律等の半音階的半音に基づいて決められたとも)を除き純正5度で、純正な5度の数は驚きの10!一方でD-Aはシントニックコンマ狭い5度(680.449セント)でウルフ(ヴォルフ)と呼ばれ、残ったFis-Cisはピタゴラスコンマとの差分であるスキスマ分狭い5度であり、平均律のそれに近い(700.001セント)。
純正律を含むため、調や和音の制約が厳しい一方で、すべての音が単純な整数比に基づく有理数音程となり、調律が容易であることと、ピアノ音源ですらはっきりわかる程に共鳴が美しいことが長所として挙げられる。それでもデメリットが大きすぎて一般的にあまり使われないが、ショパンの一部楽曲で適合でき、中には英雄ポロネーズやエチュードOp.25-5のようにウルフすら味方に付けるようなものもあったり、この音律しか適用し得ない曲(ワルツ第14番)もあったりする。そしてドビュッシーの月の光も問題なく弾ける。お試しあれ。
ちなみに私のアイコンもこれです。キルンベルガー第1こそ音律沼にはまるきっかけなのでしたとさ。
キルンベルガー第2法
先述の第1ではウルフがきつすぎるため、緩和策としてウルフをD-A-Eに分散させ(691.202セント)、純正律の雰囲気をなるべく残した音律。狭いD-A-Eをメインにする調では使いづらいが、耳障りな響きは和らぐため有用性はそれなりに向上する。ベートーヴェンの楽曲における筆頭候補である他、ヴェーバーの舞踏への勧誘、第1だと具合の悪いショパンの楽曲もこれで解決できる場合がある。当時第2の評判がよかったのはベートーヴェンの功績だろうか?
第2に関してはこれ以上述べることがないのでこれでおしまい。ご容赦。
キルンベルガー第3法
第2までとは異なり、ウェルテンペラメントの性格を持つようになる。シントニックコンマをC-G-D-A-Eに散らし、C-Eの長3度音程を純正にしている。ここにキルンベルガーの純正な長3度に対するこだわりが窺える。狭い4つの5度は1/4コンマミーントーンのそれとなり、すべての調で破綻せずに使えるようになった。一方でこの音律は、見方を変えればミーントーンのウルフを純正5度に置換して緩和していく手法の極限たる形であり、ウルフ5度はFis-Cisに相当する。この処理によって白鍵領域はミーントーンに比べて幾分濁った響きとなる。
得意不得意こそあれ、一応どの調でも演奏は可能である。20世紀ではあるが、この音律が適合する曲があるので紹介したい。
さて
この音律は一見するとヴェルクマイスターのIIIにも似ているが、ヴェルクマイスターはピタゴラス音律をベースにしているため、ミーントーンベースのキルンベルガー第3とは相反する存在である(耳がよくないと違いに気付かないが)。
そのせいなのか、裏領域に相当する黒鍵はFis-Cisのスキスマのせいでピタゴラス音階がまったく存在しない。どうもここがヴェルクマイスター信者からすれば気に入らないようで。あとは平均律からの偏差がヴェルクマイスターよりも大きく、具合のいい調と悪い調の落差が割と目立つ。私もつくづく感じていたことではあるが、この音律、悪く言ってしまえば中途半端なのだ。使い勝手こそよくなれど、その分第1、第2に比べて個性が薄れ、どっちつかずになってしまったような、そんな印象を持っている。なのでキルンベルガー第3「それ自体」はあんまり好きではない。だが……
派生がしやすいキルンベルガー第3法
先日、Twitterで某相互フォロワーが「キルンベルガー第3は派生形を作りやすい」旨のツイートをしていて、ただただ大きく頷くばかりだった。というのも、私がよく使う音律もキルンベルガー第3をちょっと弄った派生形だからである。
最も単純な派生であり、私もよく使うものとして、Prinzと呼ばれる音律がある。さて、どこが違うでしょう?↓
正解は、スキスマの位置である。オリジナルではFis-Cisに置かれていたものが、この音律ではH-Fisに置かれている。この処理によって大きく変わるのが、ヴェルクマイスターと同様にピタゴラス音階を持つようになる、という点である。これによってオリジナルのキルンベルガー第3よりも調性格に持たせる意図が明確になる。そしてD-Fisも約2セント狭くなる。とはいえデメリットも当然出てきて、C-Fisで区切った五度圏の右側は純正5度がE-Hしかなくなるため、5度を活かしにくくなる。ならいっそのこと右側を均してしまおうか。そうしてできるのはヤングの音律。ほらまた1つできた。
もう一つ派生例を挙げると、どうしても残ってしまうスキスマを残りの純正5度すべてに割り振ってしまうという大胆な手法がある。
Andreas Silbermannの音律(一説には息子のJohann Andreasとも)と呼ばれるものであるが、17世紀末~18世紀初頭で果たしてここまで緻密な調律ができたのかどうか。それはさておき、Scalaで調律して聞いてみると、曲にもよるがほんの僅かに純正からずれた5度の緩いうなりが心地よく聞こえることもある。ここで気が付いた。Andreas......ヴェルクマイスターのファーストネームと一緒じゃん。ってことでこれをやらないわけにはいかない。
先の音律をヴェルクマイスターIIIと同様の処理をした、まさしくAndreas' HYBRID!!!
ということで、早速私のお気に入りである、ポケモン剣盾のハロンタウンのピアノソロアレンジで試してみた。元はこちら。
ヴェルクマイスターと比べてみると全体的に響きがくすんで、これはこれで味があるように感じられる。
――さて、気が付いたらキルンベルガーの音律の話だったのに脱線に脱線を重ねてなぜかヴェルクマイスターっぽい何かの話になってしまった。
こんな感じで、キルンベルガー第3は色々派生がしやすいことに改めて驚かされる。それを可能にしているのは、この音律の中途半端さの裏返しとも言える選択肢の広さと、(先の例ではあまり関係ないが)おそらく81/80という比較的単純な分数で表せるシントニックコンマの持つ魔力なのではないかと思う。音律考案のために音程やうなり等色々計算をするにしても、シントニックコンマは比較的簡単に済む一方で、ピタゴラスコンマ(531441/524288)は煩雑になることが多い(実体験)。ヴェルクマイスターIIIの原型が「最も易しいウェルテンペラメント」ならば、キルンベルガー第3は「数学的に最も易しいウェルテンペラメント」と称してもよいのではないか。と、ここまで書いてふと思った。
キルンベルガーの音律についてはまだ思うことがあるも、それはまた後日。