かっこいい人はいつだって泥臭く、自分のダサさを認められる人だ。
あなたの思う、かっこいいとはなんだろうか。
容姿?性格?かっこいいにも色々な要素がある。男性のかっこいいと女性のかっこいいも随分と違うものになるだろうし、年齢によってもかっこいいの感じ方は人それぞれだ。僕は小さい頃から、何かしら憧れの人がいた気がする。中学の頃はクリスティアーノ・ロナウドが神様のようにかっこよかったし、大学の頃は周りのイケてる先輩たちの真似なんかしてみたり。いつだって、自分の思うかっこいい人がいた。
では、今自分が思うかっこいい人ってどんな人だろうか。考えてみると意外とパッと思いついた。
それは
泥臭く、ダサくてもいいから這いつくばって生きる人。これだと。
ダサいというと、まるでかっこいいの反対だと捉える人が多い。いや、僕もそうだった。あいつダサいよな、なんて言ってしまったことだってある。
服装のセンスだとか、髪型とか。目にみえるもののダサさという話ではなく、自分のダサいところもひっくるめて生きている人。これができている人って、あまりに少ないと思う。色んな大人と話してきてて思うに、虚勢を張ってきたり、自分を大きくかっこよく見せようとしている人ほど、なぜかダサく感じてしまう。子供の頃ならそれで通じたのかもしれないが、歳を重ねるにつれてどんどんダサさが増していく。
それに比べて自分のダサさ、もっと簡単にいうならば自分の弱さを認めて、それさえも味方につけて生きている大人が、最近はなぜかかっこよく見える。それはなぜなのか。多分、自分が憧れているのだと思う。装わない、ありのままの自分で勝負していく。ダサい自分さえも愛し、泥臭く、負け続けても表舞台に這い上がる。そんな大人の背中をもっと見たい。そんな大人の近くにいたい。そして自分もそうなっていきたい。ただ金や地位、名誉に物を言わせるダサい大人になりたくない。僕はそう感じている。
上の動画でお笑い芸人の徳井さんが話しているように、とにかく自分を大きく見せようとしないで、等身大で生きていくというフレーズが突き刺さった。それはやはり、自分の弱いところさえも受け入れているという力が発揮されていて、それならば今の自分はどう振る舞えばいいのか?ということがしっかり理解している方なんだと思った。
『自分を大きく見せようとしている人って、トップランク級にダサい。』
この言葉を自分の胸に刻んで、こっちのダサい人間にならないよう、地に足着けてやっていきたい。