4/6 【人生の正解なんて、死に際にしか分からない。】
新年度になっておよそ1週間、Twitterを見ているともうこの時点で新卒退社している人がちらほらいるのが確認できる。強い。ある意味最強かもしれない。自分が新卒の時、希望していた配属にならず絶望したものだが、会社を辞めるという選択肢はなかったように思う。単純に怖かったのもあるけど。
そんな爆速で会社を辞めてしまった人たちには、案の定、非難轟轟のリプライが飛ぶ。「社会を舐めすぎ。」とか「採用した会社に何も思わないのか。」とか。これくらいなら甘いくらいで、誹謗中傷とも取れるコメントも多々見られる。
多分、こういったリプライを飛ばせるのは当事者じゃ無かったんだろうなと思う。
分からないんだ。こんな早いタイミングで会社を辞める人の気持ちが分からない。自分は長く真っ当にやってきて、それが正解だ!こんなのおかしい!てな感じ。ここでもまた、大多数のやり方みたいなものが、あたかも世間の正解のように捉えられ、自分の判断でこのタイミングで会社を辞めるという行為は、あたかも不正解のように見えてしまう。いや、そのように見せるようにされてしまっている。
辞めてしまった人たちのその後まで追うことは不可能で、なんやかんや言ってくる人たちが助けてくれるのか?と言われれば、それもまた違う。いつからか、生き方の正解の押し付け合いみたいなものが蔓延ってきていて、適応できない人が苦しむ図が完成されてしまっている。
そもそも正解とか不正解みたいな考えが気持ち悪くて、生きているうちはそんなもの存在しないと思っている。そんな中で唯一、正解か不正解かを判断できるのは、死に際の自分の感情かなと。死に際って、今までの全てを振り返る最後の瞬間であって、やってきた人生がテストであり、死に際は最終の答え合わせの瞬間な気がしている。
テストってやってる最中は答えが見つからず、自分の中での最適解を答案用紙に記入する。賭けもある。普通のテストなら共通の答えが存在するけど、生き方においては正解の判断を下せるのは、各個人の死に際の感情でしかないと思っている。
こんなことを書いておきながら、死に際がどんなものかなんて分からないし、もしかするとそんなことを考える余裕すら与えてもらえないかもしれない。まあ、それはそれで幸せなのかもな。答案を丸つけする余裕すらないって、どうしても目に入る後悔すら見えないまま、ポックリ逝ってしまうのだから。
ちゃんと自分で物事を判断しているなら、それを正解に近づけるのは自分自身でしかなく、それが正解不正解かはもっと先で自分で判断すればいんじゃないかな。失敗がなく人生を終われる人なんて多分0だし、道中で起こるあらゆる困難や障壁も抱きしめて、最後死ぬ間際に「ま、やり切ったかもなあ。」くらいに振り返ることができたなら、もう満点だ。