6/27【憧れは、理解から最も遠い感情。】
憧れの存在が、誰にでもいるだろう。
あまりにも光り輝くその姿は、まるで完璧な存在で、いつも自分からは遠く、手が届かないようなところにいるように思える。
僕らは何かに心を奪われるとき、その対象が持つ光と影を知ることなく、ただその輝きだけを追い求めているのかもしれない。
振り返ってみると、初めて憧れという感情を抱いたのは小学生の頃だった。テレビの中で活躍するサッカー選手。地元グランパスの選手や、海外で無双するクリロナやメッシ。彼らの笑顔や成功、技術に心を奪われ、自分もあのように輝きたいと夢見ていた。
僕のめちゃくちゃ好きなサッカー選手に、グティがいる。容姿端麗、王子のようなプレースタイルでアシストをバンバンするその姿は、あまりにもカッコ良すぎた。でも、お金や名誉も手にしたその姿は、良い部分にしか光を当てることしかできたいなかった。
その後、現役中にうつ病になり、抗うつ薬を飲みながらプレーしていたとインタビューで話していたのを知り、愕然とした。そうだ、同じ人間なんだから、光と影があるんだ。しかも、光の光度が大きければ大きいほど、暗闇の色濃さも比例して増していくということに。
その瞬間、初めて「理解」の重さを知った。憧れとは、表面的な輝きに心を奪われること。理解とは、その輝きの裏にある現実を知ることだ。憧れる対象に対して、本当に理解を深めるためには、その人の歩んできた道や抱えている現実のことを考える必要が多少なりともあるなあと。
誰かに憧れを感じるたびに、自分自身を見つめ直すチャンスを得る。なぜその対象に憧れるのか、その背後には何があるのかを考えることで、自分の価値観や目標が浮かび上がる。憧れは、自己理解の手がかりとなる。
しかし、残念がら誰かを理解することは簡単ではない。ましてや、見えない部分を想像することはもっと難しい。しばしば、理想と現実のギャップに苦しむ。理想とするものが、実際にはどれほどの努力を必要とするか、どれだけの苦労を伴うかを知ることで、そのギャップに戸惑うこともある。しかし、そのプロセスこそが成長につながっていくのではないか。
憧れる対象を本当に理解することは、輝いた栄光の部分にただ涎を垂らしながら憧れるのではなく、その輝きの裏にある現実を受け入れること。良い部分だけを持っている人間なんて、この世にいないんだから。
残酷かもしれない。夢のないことを言うなと言われてしまうかもしれない。でも、表裏一体でこの世はできてる。このことを胸に刻み、僕らは日々成長し続けることができる。過去がどうであれ、今この瞬間を見つめ、未来に向けて努力する。憧れの存在の気持ちが少しだけ分かったら、もう十分近づいている証拠だね。