良さを語ること
僕は18とかそのくらいのころ、車のエンジンの設計を学ぶような男臭い高校に通っていて、洋楽のパンクロックにハマっていた。MESTやSuger Cult、BUSTEDとかGood Charlotte、Mando Diao、Bowling for Soup などなど、いろいろと聴き漁っていた。
ある日友達から「この曲めっちゃいいから聴いて!」と言われ、聴いてみると確かにカッコいい。
「うん、メロディーもボーカルも素晴らしいね。ドラムがタイトで特にここのオープンハイハットからのスネアが超カッコいい。ベースも主張しすぎないでしっかり仕事してて好感が持てるし、ギターのリフもイカしてるね!」
と、褒めちぎったつもりだったのだが、
「はあ!?分解して聴くんじゃねえよ!全部まとめて1曲なの!この曲が良いんだよ!分かんねえかなあ。」
…当時はよく分からなかった。
バンドはひとつひとつのパートから成り立ってるし、それぞれのプレイヤーのこだわりが一音一拍に宿っていて、それを理解できている自分は相当良い聴き方をしてるじゃないか。神は細部に宿るという。僕はそれを分かってるんだぞ…?
自分がバンドをやっているのもあって、音楽を分解して聴くのはクセだったし、それは正しい聴き方だと思っていた。
今日、地上波で「君の名は。」を見た。妻と付き合う前に映画館で観て、妻と付き合ってからもう一度映画館で観た、僕にとって大切な映画だ。
「何度観ても同じところで泣くわ」
「うん、マジでな」
「いやぁ〜良かった」
と夫婦でしばらく余韻に浸ったあと、ふとTwitterを開くと、
「ここの演出がアレで素晴らしい」
「ロゴの字詰がこうなってて素晴らしい」
「背景の描写がこういうテクニックで」
「音楽が」
うるせーっ!!
黙って観ろ!!とにかく良いんだよ!!
はっ。そうか、これか。
理解するまでに15年かかってしまった。
好きなものは好き。
とにかく良い。
本当にそれを好きな人の前で、それの良さを語るなんて、なんて野暮だったんだと。
その人の「良い、好きだ」と思う気持ちは、作品との対話で生まれたその人だけのものだ。
きっと彼の「めっちゃ良いから聴いてくれ」というのは「良さを理解してくれ」ではなく「理解されなくてもいい、俺はとにかく好きなんだ」という、好きが溢れた結果だったんだろう。
君の名は。
みんなそれぞれ良さを感じているだろうが、それは作品との対話で得た自分だけのものだ。人に押し付けず、また人から押し付けられるものでもない。
過去の自分、相当野暮だったなあと、反省したひとときでした。
おわり
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?