適応障害、離職、そして、再スタート
いま僕は人生のどん底にいる。
(いた。下書き期間が長く、心境はすでに大きく変化して新しいチャレンジに心踊っているが、当時の下書きをそのまま投稿する)
どん底というと大袈裟だと思うかもしれない。
ただ感傷的になって、どん底と見積もってるだけかもしれない。
ただ、明らかにいえるのはこれからの人生どんな道を歩んでいくのか、25年間生きてきた中でもっとも見えなくなったということだ。
本当の意味でレール(が、あるとはあまり思っていない)から外れ、自分が選んできた道でその道を歩めなくなり、仕事ができなくなり、ネガティブな思考だけが繰り返され続ける中で、はたからみれば何も持たない人と受け止められるのではないかという不安と絶望感。
がむしゃらに働いた2年半を通じて、
たくさんのことを学んだ。
自分の未熟さとたくさん向き合った。
たくさんの出来ないことを知った。
どんなときでも持っていた根拠のない自信を失いかけることもたくさんあった。
それでも積み上げていくものがあったからこそ、時には正しい道を歩んでいるのか不安になっても頑張ることができた。
でも、僕は大切な人たちとはじめた会社を辞める。
いままで積み上げてきたものが全て無駄になる恐怖。
自分がこれから世にとって存在する価値がある人間になれるのだろうかという恐怖。
そんな恐怖を生まれて初めて感じた鬱期間だった。
だけど、そんな鬱期間を抜けて、そして、自分自身が抜けられた要因として最も大事だったと思うのは「選択肢」を持つことだった。
しんどいってなったときに「逃げる」という行動を頭の中に入れられるか。
「逃げる」という選択だけじゃない。
人に相談する。
運動して頭を空っぽにする。
違う環境での仕事に変える。
住んでる場所を変える。
付き合う人を変える。
大切にしてる価値観を切り替える。
自分の中で常に選択できる手段を持っておくことが武器となる。
逃げるという選択は勿論
使いどきは重要だと思う。
でも同じように逃げないことにしか視野に入れない。つまり、盲目になるということは避けなければいけないとも感じる。
他者からのアドバイスの中には、安易に(あるいは自分のこれまでの選択を正当化するために)逃げないことを強いる場合もあると思う。
(逆にこのnoteは自分の選択「逃げる」の正当化と捉える人もいるだろう)
だからこそ、
本当に正しいのかを考え、自分で決断を下す必要があるし、
そもそもどんな選択肢があるのかを知っておくことは大切だと思う。
「選択肢を持つこと」は僕の場合
親が自分の心に残してくれた大きな財産の1つであったと感じてる。
人によっては選択肢を持つことの重要性を知っておくことは当たり前だと思っているかもしれない。
あるいは、選択肢が常に豊富にある環境にいることで選択肢があることが当たり前だと思っている人も多いかもしれない。
例えば、
兄弟や周りの友人が進学校に通い、
よい塾やよい参考書、良い勉強方法を知っていれば自分自身で意識的に選択肢を作らなくても苦労せずにうまくいったという人もいるだろう(もちろんその人なりにまた別の苦労がある)
勉強だけじゃない。
ちょっとした考え方1つにしても
その考え方の選択肢を持ってる人と持っていない人で人生の生きやすさは大きく変わるし、
当たり前にそれを持てる環境にいる人といない人がいる。
そして、選択肢の大切さに気づいたとしても
人が想像する以上に
新しい選択肢に出会うことって難しい
知ってからだったらネットで検索でもなんでもできる。
でも、
その世界が存在することを想像すらしたことがない場合、新しい選択肢がある「その世界」を見つけて出会っていくことって本当にむずかしい。
大袈裟な話をすれば
地球が回っていると知ってる人からすれば
それは当たり前のことだし、
あとから学んだ理論で自分でも正当化できるが、
地球が回ってるなんて想像もしたことない、そんな可能性があるなんて情報すら頭に入ったことがない人からすれば、
それに気付くには天才的な閃きが必要になる
自分自身、
どちらかというと選択肢の重要性に早く気づけたので意図的に選択肢を広げようと努力してきた。
が、後から振り返ればもっと選択肢が簡単に知れてたら楽に近道ができたなと思う。
もっと直接的にいうと
色々なタイプの友人ができてきたが、
選択肢に恵まれている友人と恵まれていない友人がいて、
正直人としての魅力や能力、力に差なんてないとおもう。
だが、社会からの評価となると話が変わる。
だからこそ自分は選択肢の重要性を知ってもらいたい。
なぜなら、選択肢がある人生を歩めるようになることで人生が大きく変わると信じているから。
これから改めて会社を1人で立ち上げていくことになるが、間違いなく「選択肢」は1つのテーマになるだろう。
そして、
このnoteも
選択肢に関する1歩めの歩みだ。
このnoteの意味。
それは自分自身がこれから経験すること、
考えること、ぶつかることを
身の回りの手の届く範囲の人に共有することだ。
自分自身が大量のインプットとアウトプットを行うことで、
まだ経験していない人やその時の自分と同じ悩みを持っている人がいたときに
1つの「選択肢」として僕の体験や考えが役に立つように。
そしてそんなものは世の中に溢れてるって思う人ももちろんいるとおもうけれども、
一方でそんな人たちが想像もできないくらい
選択肢と出会いづらい世界に生きてる人もいる。
だからこそ、
自分がいろんな世界と出会い
発信することで
身の回りの手の届く範囲の人たちに
新しい選択肢を届けられたら嬉しいです。
今を生き、苦しんでいたり悩んでいる誰かが少しでも励まされるように。
その時々の自分の思考の過程がこれからの誰かの役に立つように。
継続も自己発信も得意でない自分ですが、
このnoteが大いなる意味を持つと信じてこれから発信をしていきたいと思います。