「迷っていること」を安心して話せる人、いますか?
連投138日目。
最近、わたし、めちゃくちゃ迷っていて、決断しかねることを抱えています。
決めかねることって、自分一人で、頭の中でいくら巡らせても、まぁまぁいつも通りの結論に行き着くんですよね。これ、1人でやってると、ほんと「堂々巡り」という言葉がピッタリくるくらい結論が変わりにくい。
ただ、迷っていることを相談して、次のようなことがあると、「相談するんじゃなかった」と思ってしまいます。
・「Aにしたらいいよ。Aの方が絶対いい」と強く進めてくる
・根掘り葉掘り、決められない理由を聞かれる
・話している途中なのに、「こう考えれば?」と提案してくる 等
「迷う」ということは、選びたいけれど、選びかねている状態、つまり選ぶ気がないわけでもないし、むしろ選べないでいることに少しいら立ちを覚えていたりしているわけです。いずれにしても、「迷う」=「自分で決めたがっている」と言い換えられます。
でも、わたしたちって、人から「迷ってて…」と相談を受けたら、なんか決めることを手伝いたくなるでしょう? 実は、そこがね、ずれてるのよね。
だって、決めるのを手伝いたくなるってことは、「決められない人」として相手をみているってことでしょう? 本当は、「決めたがっている人」なのに、「決められない人」って捉えていたら、そりゃぁコミュニケーションが行き違うはずですよね(笑)
で、こないだ、迷っていることをうちの妻に告白したわけです。
そうすると、ただ、聞いてくれていて、何をどう迷っているのかをわたしが話すのを待ってくれるわけです。妻はわたしのことを「決められない人」ではなく、「決めたがっている人」として向き合ってくれていたのでしょう。そうすると、やっぱり安心だなと感じるんです。
安心で、無防備でいられると、正直に(素直に)自分のことを探ることができるようで、迷いの根っこにあるものをそのまま言葉にすることができていました。かっこつけなくていいって、こんなにも心地いいもんなんだなって、ほんとに実感しました。
ちなみに、その会話で迷いが解消したわけじゃありません。しかし、整理されたことは間違いなく、何より迷っていることを言葉にできたことで軽くなったので、話すまえとあとでは大きく変化しているわけです。すごろくでいえば、一コマ進んだくらいの変化ですが、変化は変化です。
さて、あなたには、自分の迷っていることを、そのまま話せる相手はいますか?
あるいは、あなたは、誰かが迷っている時に、そのまま話せる相手になれていますか?
「決められない人」と受け取るか。
「決めたがっている人」と受け取るか。
どう相手と向き合っているかを、よく観察してみてくださいね。