円陣

「誰のせいか?」よりも大切なこと

 連投171日目。

 今朝のワイドショーで「いじめ」が取り上げられていました。

 イギリスやフランスでは、「いじめはある(起こりうる)もの」として捉えているそうです。だから、通学中に靴を踏んでもいじめだし、体育の授業で失敗してからかわれてもいじめだし、いじめそのもののとらえ方が広いですよね。

 ところが、日本では「いじめはない(起きるはずがない)もの」というとらえ方をしているところがあります。そのためか、子どもが命を落としてもなお、「いじめは認められなかった」「ふざけていた遊びの範囲内」といった解釈が堂々と第三者委員会の調査結果として報告されるのでしょう。これはイギリスやフランスでは、その解釈がされること自体が異様に感じるでしょう。

 話をフランスの例に戻しましょう。

 フランスの幼稚園で、我が子が他の子を叩いて、幼稚園に呼び出されたお母さんのインタビューが流れていました。

 お母さんは、てっきり先生に怒られるものだと覚悟をして学校に行きました。ところが、校長先生に言われたことは、「子どもにカウンセリングを受けさせてください」という対応だったそうです。

 というのも、「子どもが何か暴力をふるったりする背景には、必ず理由がある」という考えがあり、その理由を明らかにして初めて、本当に適切な対処方法が決められるという考えがあるようです。

 まるで、わたしが提唱している「理由を探る認知症ケア」と同じです。その人が、そう行動するのには理由がある。それを探り出すことなしに、やみくもに行動を制限する(暴力をふるわせない、うろうろ歩き回らせない、等)という対応を行うだけでは、本質的な解決は何もなされません。

 このフランスのお子さんは当時5歳だったと思いますが、カウンセリングの結果、明らかになったのは、弟が生まれたばかりで、お母さんに相手をしてもらえず、おまけにお父さんが出張続きで、愛情を感じられる時間が少なくなっていることが背景にあるのではないか?ということでした。
 医師からお母さんへの助言は「もっと、抱きしめてあげて」でした。

 結果、言われた通りに、ハグをしたり、一緒に過ごす時間を増やしたりしたら、子どもの暴力は二度とおきなかったそうです。

 加害者と言われる側も、何かしらの理由がある。その理由から解放してあげることが、根本的ないじめへのアプローチになるという考えです。

 しかし、日本では、「誰が悪いのか?」ということばかりがいじめにかぎらずクローズアップされがちですね。その結果、「誰が何をしたか(何をしなかったか)」という事実確認と、その首謀者は誰なんだ?という犯人探しが主になってしまっていて、それを教育委員会がもみけそうとしたり、担任が隠そうとしたりして、どこか大人が何かしらの責任から逃れようとしているように見える対応がみられます。とても残念です。

 この誰が悪者・邪魔者・犯人か?という風潮は、『加害者を罰して行動を改めさせる』という考えが根底にありますよね。フランスの対応は、その逆で『加害者も救おう』という考えで、ただやみくもに子どもを叱りつけたり、親に申し訳ない気持ちを浴びせ続けるのではなく、カウンセリングを受けて、『加害行為を行った子どもも、何かに苦しんでいるのかもしれない。だとしたら、そこから救おう』という対応になっているのでしょうね。

 やりたくてやっているのではないのかもしれない。
 わかっているけれど、やめられずにいるのかもしれない。
 いずれにせよ、何かしらの理由があるはず!という前提をはずさない。
 何が起きていたのか?を明らかにする

 まさに先生と親がパートナーとしているし、大人が子どものパートナーとしている、具体的なパートナーシップの示し方だなと思います。

 「誰のせいか?」を追及するヒマがあったら、「何が起きていたのか?」を明らかにすることに時間を使いましょう。
 
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